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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 冥途の露払い?徳川家康の3日前に亡くなった忠臣・瀬名政勝の生涯をたどる【どうする家康 外伝】

冥途の露払い?徳川家康の3日前に亡くなった忠臣・瀬名政勝の生涯をたどる【どうする家康 外伝】:2ページ目

築山殿(瀬名姫)との関係は?

●政勝

源五郎 十右衛門 母は今川氏真が家臣葛山備中守氏元が女。

天正九年はじめて東照宮にまみえたてまつる。時に十六歳 十二年二月より御傍に近侍し、小牧の役に供奉す。そののち大和国の内に於て采地三百石を賜ひ、十八年三月十一日采地のうち百九十石餘を割て、舊知駿河国庵原郡瀬名村にうつされ、関東御入国ののち、また武蔵国入間郡のうちに転ぜらる。十九年五月十七日御朱印をたまふ。慶長五年関原の役に従ひたてまつり、のち大番に列し、元和二年四月十四日死す。年五十一。法名玄紅。牛込の松源寺に葬る。

※『寛政重脩諸家譜』巻第九十五 清和源氏(義家流)瀬名

以上、瀬名政勝の生涯を駆け足でたどってきました。

ところで「瀬名」という苗字を聞いて、築山殿(瀬名姫)との関係が気になった方もいたのではないでしょうか。

『寛政重脩諸家譜』をたどると、瀬名政勝は築山殿のいとこおばに当たるようです。ということは、家康は義理のおじ。政勝が忠義を尽くすのはもちろん、父のように慕っていたのも理解できます。

NHK大河ドラマ「どうする家康」に出てくることはまずないでしょうが、常に家康のそば近くに仕えていた瀬名政勝の存在が、画面のどこかに見え隠れしているかも知れません。

※参考文献:

  • 『寛政重脩諸家譜 第一輯』国立国会図書館デジタルコレクション
 

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