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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」まさかの主人公ロス!?金陀美具足と兜首……第17回放送「三方ヶ原合戦」振り返り

「どうする家康」まさかの主人公ロス!?金陀美具足と兜首……第17回放送「三方ヶ原合戦」振り返り:2ページ目

高天神城について

劇中、気になったのが高天神城の陥落(元亀3・1572年10月21日)。これまで「信玄の存命中に落とされたことはない」と認識していました。

それを勝頼の代になって天正2年(1574年)6月28日に初めて攻略したことが、勝頼が「偉大なる父を超えた」大殊勲として知られています。

と思ったら、実は信玄の侵攻に際して高天神城が降伏していたとの説もあるようです。

ただし信玄が没すると間もなく「勝頼には先がない」とばかり再び徳川に寝返ったとか。実に節操がありませんが、それも戦国乱世の処世術だったのでしょう。

こういう新たな発見や学説が紹介されるのはよいことだと思います。しかし多くの視聴者が歴史の通説を知った上で観ている前提でしょうから、たとえば大河ツアーズなどで紹介するなど工夫が欲しいところです。

ちなみに、この高天神城は徳川と武田の両軍にとって死活を争う重要拠点として今後も大きな意味を持ちました。

近ごろご無沙汰の今川旧臣・岡部元信(演:田中美央)も登場するので、今から楽しみにしています。

二俣城の合戦

こちらは大河ツアーズで言及された二俣城。ここを押さえると遠江国内の連携を寸断できる要衝です。ここは青木貞治(又四郎)と中根正照(平左衛門)が兵1,200ほどで守備していました。

……信玄ハ見付のだい寄。がうだゐ島へ押上而陣取。其寄二俣之城を責たる。城尓ハ。青木又四郎。中根平左衛門。其外こもる。信玄ハの里おとさんと仰されバ。山方三郎兵衛と馬場美濃守両人。かけまワりて見て。いやいや此城ハ土井たかく志て草うららか志。とてもむ里責丹ハ成間敷。竹たばをもつてせめよせて。水の手を取給ふ程奈らバ。頓而落城可有と申けれバ。其儀奈らバ責よとて。日夜ゆだん奈く。かねたいこをうつて。時をあげて責けり。……

※『三河物語』第三下

「ただちに乗り込め!」

意気込む信玄に対して、山県昌景(演:橋本さとし)と馬場信春(ばば のぶはる。美濃守)が諫めます。

「周囲を確認して参りましたが、この城は土塁が高く草木も茂り、無理攻めは犠牲が大きすぎます」

「左様。水の手をとって(水源を断って)やればたちまち降伏するでしょう」

二俣城は中に井戸がなく、近くを流れる天竜川に釣瓶を下ろして水を汲んでいたのです。

そこへ無数の竹束を流し、断崖の上から水を汲めないようにしてやろう(もし竹束を取り除きに来たら返り討ちに)……なんだか嫌がらせのようですが、勝つためには手段など選びません。

「なるほど。然らばただちにとりかかれ」

「「ははあ」」

かくして一ヶ月以上(諸説あり)に及ぶ持久戦の末、二俣城は降伏しました。信玄は青木貞治や中根正照らを解放してやります。

これを恥じた両将は、三方ヶ原の決戦で討死して面目を施したということです。

3ページ目 織田の援軍・水野信元と佐久間信盛

 

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