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「どうする家康」まさかの主人公ロス!?金陀美具足と兜首……第17回放送「三方ヶ原合戦」振り返り:4ページ目
なぜ家康は飛び出したのか?
……いかに武田が猛勢なればとて。城下を蹂躙してをしゆくを。居ながら傍観すべき理なし。弓箭の恥辱これに過じ。後日に至り彼は敵に枕上を踏越れしに。起もあがらで在し臆病者よと。世にも人にも嘲られんこそ後代までの恥辱なれ。勝敗は天にあり。とにもかくにも戦をせではあるべからず……
※『東照宮御実紀附録』巻二「三方原敗軍(旗士戦功)」
【意訳】いくら武田が強大だからと言って、浜松城下を踏みにじるのを傍観していては、弓箭(きゅうせん。弓矢=武士)としてこれ以上の恥辱はない。後に「家康は敵が枕元に立っても起き上がれない臆病者だ」と笑われるなど耐えられない。勝敗は天が決めることだ。是が非でも戦わずにおれるものか!
これだけ読むと、ただ武士の面子を守るために出撃したように見えます。劇中でもほぼそれに近い様子が描かれていました。
(もっとも本作の家康にとって最大の動機は「岡崎にいる瀬名(演:有村架純。築山殿)たちが危ない」だったのでしょうが)
徳川八千騎(加えて織田三千騎)に対して、武田は三万騎。籠城なら十分戦えますが、野戦で真っ向から挑むのは無謀すぎです。
当時「海道一の弓取り」と称されていた家康が、そんなことも分からないはずはありません。また、面子のために将兵を損なってはその後(家臣の忠誠や戦略展開)にも関わります。
よく言われるのが「完全に背中を見せた武田軍を追撃できれば勝てる」と見込んだ説。それだけ背後を衝くのは有利に違いありません。
劇中では「坂を上ったら三方ヶ原が広がり、その先はまた細い道」と地形の言及がありました。細い道では方向転換もままならず、武田の大軍を思うさま突き崩せたことでしょう。
しかし家康が焦って追撃することなど百も承知。信玄は三方ヶ原に到着して万全の体制を整えていました。
夏目広次(演:甲本雅裕)が「我らには地の利がある」などと言っていましたが笑止千万。すでに徳川領内は武田の間者がウヨウヨしていたではありませんか。
望月千代(演:古川琴音)をはじめ“おりん(演:天翔天音)”に“おふう(演:天翔愛)”。どうして徳川家はこうした見るからに胡散臭い連中を放っておくのでしょうか。面も割れているのだから、さっさと取り締まって下さい。
信玄はとっくの昔に遠江の全都市・地形を把握していたでしょう。特に本作のセキュリティ体制ならば。
実際の信玄も(というよりどこの戦国大名も)あらかじめ戦場となるであろう場所については十分な下調べをさせたはずです。なんせ命がかかっていますから。
そういう戦国時代ならではの緊張感が味わえる作品づくりに期待しています。
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