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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」弱き主君は害悪、滅ぶが民のため。武田に従う?第16回放送「信玄を怒らせるな」振り返り

「どうする家康」弱き主君は害悪、滅ぶが民のため。武田に従う?第16回放送「信玄を怒らせるな」振り返り

上杉謙信との同盟について

さて、迫りくる武田の脅威を除かんと越後の上杉謙信(うえすぎ けんしん)と同盟を結び、武田を南北から囲い込もうとした家康。

しかし信濃国で書状を奪われ、かえって信玄を怒らせる窮地に陥ってしまいます。

「なぜ武田領である信濃をまっすぐ通った?」

三河(愛知県東部)から越後(新潟県)へ使者を送るなら、織田領である尾張⇒美濃を抜けて飛騨(岐阜県北部)⇒越中(富山県)経由の方が比較的安全です。

もちろん陽動のため偽の使者を送るのも手ですが、話をシンプルにしたいなら「急がば回れ」一択でしょう。

ちなみに、江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀)』によると、徳川・上杉の同盟は無事に成立しています。

……此頃越後国に上杉謙信入道とて。軍略兵法孫呉に彷彿たるの聞え高き古つわものあり。今川氏真が謀にてはじめて音信をかよはしたまふ。入道悦なゝめならず。当時海道第一の弓取と世にきこえたる徳川殿の好通を得るこそ。謙信が身の悦これに過るはなけれとて。左近忠次まで書状を進らせ謝しけるが。是より御音間絶せず……

※『東照宮御実紀』巻二 元亀元年-同三年「家康通好于謙信」

【意訳】越後の上杉謙信は「海道一の弓取り」と名高い家康とよしみを通じることを大変喜び、以来両家の友好は絶えることがなかった。

なお、文中に登場する左近忠次とは松井忠次(まつい ただつぐ。松平康親)のことです。
この徳川・上杉の同盟によって危機感を募らせた信玄は、先に家康を潰そうと言いがかりをつけました。

……此頃信玄入道は当家謙信入道と御合体ありといふを聞大に患ひ。しからばはやく   徳川氏を除き後をやすくせんと例の詐謀を案じ出し。はじめ天龍川を境とし両国を分領せんと約し進らせしを。など其盟をそむき大井川まで御出張候や。さては同盟を変じ敵讎とならせ給ふなるべしと使して申進らせければ。君も聞しめし。我は前盟のごとく大井川をへだてゝ手を出す事なし。入道こそ前に秋山山縣等をして我を侵し。今また前盟にそむきかへりてこなたをとがむ。これは入道が例の詐謀のいたすところなりといからせたまひしが。是より永く通交をばたゝせ給ひけり……

※『東照宮御実紀』巻二 元亀元年-同三年「家康絶信玄」

【意訳】信玄は「はじめ『天龍川を境に東西で分け合おう』と言ったのに、それより東の大井川まで出て来るとは、裏切り者め」と家康をなじった。家康も怯まず「いや、最初に『大井川を境に東西で分け合おう』と言ったのはそっちではないか」と反論。

更には「秋山虎繁(あきやま とらしげ)・山県昌景(演:橋本さとし)を刺客に差し向けたことを忘れておらぬぞ」と糾弾。これをもって徳川・武田の両家は永く断交することとなった。

……大河ドラマとは大きく異なりますが、出来ればこういう毅然とした家康を見たかったですね。

3ページ目 信玄の「嫡男」・「武田」四郎勝頼について

 

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