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「石と水の都」を築いた飛鳥時代の女帝・斉明大王!益田岩船など飛鳥京造営の遺構に秘められた謎を探る【前編】

「石と水の都」を築いた飛鳥時代の女帝・斉明大王!益田岩船など飛鳥京造営の遺構に秘められた謎を探る【前編】

大化の改新前後、激動の飛鳥時代をリードした女帝・斉明大王(天皇)。

彼女は、倭国(日本)の律令政治の幕開けの舞台となった、奈良県明日香村の飛鳥京を造営した大王として歴史的に再評価されています。

今回は[前編][中編][後編]の3回に分けて、斉明が造営した「石と水の都」飛鳥京と、そこに残る巨大石造物・益田岩船を始めとする「石」と「水」の遺構について考察します。

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律令国家の礎が築かれた飛鳥時代

奈良県明日香村は、6世紀末から7世紀にかけての約100年間、大王(天皇)の宮都が置かれ、この時代は飛鳥時代と呼ばれています。

現在、発掘調査により確実視されている宮都としては、33代推古大王の豊浦宮(とよらのみや)・小墾田宮(おはりだのみや)、34代舒明大王の飛鳥岡本宮、35代皇極大王の飛鳥板葺宮(あすかいたぶきのみや)、37代斉明大王の後飛鳥岡本宮(のちのあすかおかもとのみや)、40代天武天皇の飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)などがあります。

この他、明日香の地には、大王(天皇)の諸皇子たちの宮殿である皇子宮もその周囲に数多く営まれました。

ちなみに本記事では、天武以前の天皇を「大王」と記すことにします。「天皇」という称号がいつ頃から使われ始めたのかについては、さまざまな説があります。

筆者は、日本の天皇制を確立したのは天武であるとの見解をとるので、本記事の中心人物である斉明についても「大王」の称号を用います。

また、国号については、日本は天武以前は「倭国」と称されていましたので本記事では「倭国」で統一しますが、文章の内容によっては「日本」も用いますのでご承知ください。

現在、明日香村にはのどかな田園風景が広がっています。しかし、約1,400年前、この地では大化の改新や壬申の乱など、日本史を揺るがす大事件が起こりました。

日本の律令国家体制の礎が築かれた明日香村では、その地中に数多くの遺構が眠っており、発掘調査によってその実態が日々明らかになりつつあります。

先ずは、明日香最大の石造物である益田岩船を紹介し、それと関わりの深い斉明大王について話を進めていきましょう。

2ページ目 江戸時代から観光名所になった益田岩船

 

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