手洗いをしっかりしよう!Japaaan

大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」弱き主君は害悪、滅ぶが民のため。武田に従う?第16回放送「信玄を怒らせるな」振り返り

「どうする家康」弱き主君は害悪、滅ぶが民のため。武田に従う?第16回放送「信玄を怒らせるな」振り返り

信玄の「嫡男」・「武田」四郎勝頼について

戦国最強の遺伝子を受け継ぐ信玄の嫡男・武田勝頼(演:眞栄田郷敦)が初登場。武田ファンにとっては大歓喜の瞬間でした。

武田贔屓の筆者としても嬉しい限りですが、残念ながら勝頼は嫡男(正室の子)ではありません。また劇中(源三郎の帰還)時点では武田の苗字も名乗っていません。

勝頼は信玄と側室・諏訪御料人(すわごりょうにん。信玄が滅ぼした諏訪頼重の娘)の間に生まれた庶子。成長しても武田は称さず、諏訪四郎(すわ しろう)と呼ばれました。

長兄で嫡男の武田義信(よしのぶ)が謀叛の疑いで自害させられ(永禄8・1565年)、次兄の海野信親(うんの のぶちか。竜芳)は盲目ゆえ若くして出家。

三兄の武田信之(のぶゆき)は天文22年(1553年)ごろ既に夭折しており、義信の死をもって初めて勝頼が後継者候補とされたのでした。

しかし信玄は死に際して「武田の家督は武王丸(たけおうまる。勝頼の嫡男、武田信勝)に継がせ、そなたは後見せよ」と遺言します。

果たして元亀4年(1573年)4月に信玄が亡くなると勝頼は信玄の死を隠し(表向きは隠居として)、自分が家督を継いで武田の苗字を称しました。

なのでこの時点では諏訪四郎勝頼のはずですが、これまで武田家の後継者問題については言及していないし、視聴者の分かりやすさを考慮して最初から武田勝頼としたのでしょう。

ともあれ信玄の跡を継ぎ、武田家の所領を最大限に拡張する大暴れに期待ですね!

4ページ目 海がない甲斐国の貧しさ

 

RELATED 関連する記事