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主+水でなぜ「主水(もんど)」と読むの?天皇陛下の飲料水を管理する役職に由来するその語源:2ページ目
主水司に勤める人々
なお、主水司の根拠となる律令制度は大陸の唐王朝にならったものであるため、主水司にも唐名(とうみょう)があります。
官公庁としての主水司は膳部署(ぜんぶしょ)、上林署(じょうりんしょ)と呼ばれるほか、その職員も以下のように呼ばれていました。
主水正(もんどのかみ)
主水司の長官で、定員は1名。官位は従六位上に相当します。
唐名は膳部郎中(ぜんぶろうじゅう)、上林蔵水(じょうりんぞうすい)、白漿令(はくしょうれい)。
漿とは米の煮汁つまり重湯(おもゆ)のことで、どうせならお粥も担当せよ、となったのでしょう。
主水佑(もんどのすけ)
主水司の次官として、主水正を補佐します。定員は1名、官位は正八位下相当です。
唐名は主漿(しゅしょう)、上林丞(じょうりんじょう)。主に漿を扱う、要するに実務責任者として主水正を丞(たす)けました。
主水令史(もんどのれいし)
主水司における監督業務を担当しました。定員は1名、官位は少初位下相当で最低ランクとなります。
唐名は漿司(しょうし)、上林監事(じょうりんかんじ)。これより下の雑任(ぞうにん。下級官吏)たちは官位や唐名といった気の利いたものを持っていません。
史生(ししょう)
事務担当、定員は2名。最初は主水令史以上のみで事務をとっていましたが、業務の煩雑化に伴い大同4年(809年)に新設されました。
使部(つかいべ)
雑務担当、定員は10名(のち6名に減員)。下級貴族(六位以下)の子弟が担当することが多かったと言います。
水部(もいとりべ)
飲料水に関する職工で、定員は40名。水戸(もいとりこ)に指定された140世帯から選出されました。
直丁(じきちょう)
水汲み・運搬の現場監督で、定員は1名。
駆使丁(くしちょう)
水汲み・運搬に当たる肉体労働者で、定員は20名。
氷室預(ひむろあずかり)
山城国(京都府中央部)に6箇所、大和国(奈良県)、河内国(大阪府南部)、近江国(滋賀県)、丹波国(京都府中部)に1箇所ずつあった氷室の長官。定員は各所に1名。
氷馬役(ひょうまやく)
夏に氷室から氷を運ぶ役目。水部の者が臨時で担当したと言います。炎天下、少しでも氷をとかさないよう運ぶのは、さぞかし神経をつかったことでしょう。
終わりに
こうした人々の手によって、例えば天皇陛下のふだん飲まれる水や、ご不例の時に召しあがるお粥、そして夏の暑さをしのぐための氷などが提供されたのでした。
そう考えると蛇口をひねれば水道水が出て、レトルトパックでお粥が食べられ、製氷機で簡単に氷が作れる現代社会の便利さが身に沁みることでしょう。
主水を名乗る歴史人物のほとんどが自称ですが、もし今後「主水」の名を見聞きしたら、是非とも先人たちの苦労を偲んでもらえたらと思います。
※参考文献:
- 松村明 編『大辞林 第三版』三省堂、2006年10月
- 国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典第13巻 ま-も』吉川弘文館、1992年1月
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