清少納言は「少納言」じゃない?十二単は12枚じゃなかった。平安時代の勘違いあれこれ:2ページ目
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清少納言は複雑
清少納言は清原元輔の娘だった「清」が使われましたが、では父か夫が少納言だったのかな?と連想すると、ここが複雑で実は違うのです。なぜ清少納言と呼ばれたのかははっきりとはしていませんが、有力な説はあります。
女房は身分に応じて「上臈、中臈、下臈」などと決められた女房名がありましたが、清少納言は宮中に仕える正式な女官でもありませんし、父は国司(受領)なので一番低い身分になります。
しかし清少納言は才女との誉れ高く、一条天皇の定子(正妻)に仕える私的な女房として宮中内で仕えていました。
本来「少納言」は「下臈の女房」に割り当てられる女房名なので、定子様が「正式な女官なら、あなたは少納言ね」ということで、宮中ではその呼び名にしたのかもしれません。
参考サイト:「世界百科事典 第二版」
参考文献:『王朝生活の基礎知識 古典のなかの女性たち』
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