清少納言は「少納言」じゃない?十二単は12枚じゃなかった。平安時代の勘違いあれこれ
十二単は必ずしも12枚じゃないし、十二単と呼ぶのも間違い
優美な宮中を飾る女性貴族たちの着物。
俗に十二単と呼びことが多いですが、単純に12枚着てたわけではありませんでした。実は12という数字は仏教で煩悩の原因の数とされ、ただ単に「たくさん」という意味だったのです。「十二分に」という言葉もありますよね。
しかも十二単とは後世の俗称でしかなく、当時の宮中では「女房装束」「裳唐衣(もからぎぬ)」と呼ばれていました。
ではなぜこのような間違いが流布してしまったのかというと、『源平衰勢記』の記述で、十二単という記述があったからとの説も。
装束は肌から近い順に「単衣・長袴・袿・打衣・表衣・裳・唐衣」で構成されますが、このうち桂は「単」とも呼ばれるため、たんに12枚の単を重ね着したという表記を勘違いしたのものが流布したというのです。
しかも正装の場合、その重さ20キログラム。貴族の女性は外出も稀ですし滅多なことでは着用しませんでした。清少納言は「少納言」じゃない
女房名とは
随筆『枕草子』を著した清少納言。しかし清少納言は「少納言」ではないのは知っていましたか?
実は「少納言」とは官職名のことで、比較的高い地位にあり天皇の傍に使える侍従としての役割も担いました。そして当時は女性がこの官職につくことはありませんでした。
貴族の女性がどのように呼ばれていたかというと、本名で呼ばれることはなく、「父の名前や息子+関係性」(藤原道綱母)とか、「父親の姓と役職の肩書」(和泉式部)などでした。当時本名は呪いに使われる心配があると信じられていたので、公にすることはなく結婚した相手にしか打ち明けなかったのです。
こういった仮の名は「女房名」といい、宮廷に使えるときなどに用いました。女房…という呼称は、源氏物語など古典には必ず出てくるので聞きなれている人も多いでしょう。
ちなみに紫式部は親族に「式部丞」を務めた人がおり、『源氏物語』の紫の上が有名なので「紫式部」と呼ばれたといいます。
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