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天皇陛下が来られるって!天皇のお出まし「行幸」は、地名さえ変える影響力大の一大イベント

天皇陛下が来られるって!天皇のお出まし「行幸」は、地名さえ変える影響力大の一大イベント:2ページ目

大涌谷は「地獄」だった

箱根の観光名所、大涌谷。かつてここは硫黄臭の立ち込めるガスが噴出し、その様相から「地獄谷」または「大地獄」と呼ばれていました。しかし、1873年(明治6年)8月5日の行幸の折、天皇陛下がこられる場所に「地獄」は相応しくないということで、「大涌谷」と呼称を変えました。

東京の聖蹟桜ケ丘

聖跡ではなく聖蹟。聖蹟とは、天皇陛下が行幸した場所、という意味です。天皇陛下が行ったところは全部聖蹟といえることになりますが、駅名にもなっている「聖蹟桜ヶ丘」が最も有名かもしれません。

かつて明治天皇は、多摩丘陵でのウサギ狩りや多摩川での鮎漁をお楽しみになりこの地域に何度も行幸したそうです。これを記念して、1930年(昭和5年)に「多摩聖蹟記念館」が建設され、1937年(昭和12年)に「関戸駅」が「聖蹟桜ヶ丘駅」に改称されたというわけです。いつしか桜も植えられ、桜の名所としても有名になりました。

昭和天皇が命名した「相武台」

神奈川県座間市相武台の地名は、「陸軍士官学校」が発祥となっています。

陸軍士官学校は1874(明治7)年に開校した、陸軍将校の養成機関です。開校年の12月、同校卒業式に昭和天皇が訪れることになり、国鉄横浜線「原町田駅」(現JR横浜線「町田駅」)から同校までの道路改修工事が行われ、この道路が「行幸道路」と呼ばれるようになりました。

また行幸の折、昭和天皇はこの地を「相武台」と命名し現在まで続いています。陸軍士官学校は、1945(昭和20)年に長野県佐久市に疎開し、そのまま終戦を迎え閉校となりましたが、その5年後に米陸軍が設置され、いまも知られる「キャンプ座間」と呼ばれるようになります。

ちなみに演習場の視察でついた地名は他にもあり、千葉県の習志野が知られています。明治6年(1873)、大和田原(現・千葉県船橋市習志野台から高根台周辺)で明治天皇御覧の下で陸軍による演習が行われ、後にその地は「習志野原」と命名され、正式に陸軍の演習場となりました。

3ページ目 聞き間違いからついた名前「夏見」

 

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