超美人さん揃い!明治時代に日本初のミスコン「東京百美人」が開催されたその理由とは?
明治時代に東京浅草の名所の1つだった「浅草凌雲閣」(通称「浅草十二階」)。1890年(明治23年)に工事が始まり1891(明治24)年に完成しました。当時の日本で最も高い建築物で、名称の由来は、「雲を凌ぐほど高い」ことから名づけられました。高さは52m。
起案者は、越後長岡の生糸商・福原庄七。設計者は、スコットランド人のお雇い外国人・ウィリアム・キニンモンド・バートンです。内部には日本初のエレベーターも設置されました。ところが、このエレベーター、ずっと故障続きでオープンから半年後には使用中止になってしまいます。困ったのは凌雲閣の持ち主です。
「浅草十二階の入場料は大人8銭、子ども4銭。かけそば一杯が一銭の時代、はたして、エレベーターのない12階の建物に人が来てくれるだろうか…。いったいどうすれば、階段を登ってもらえるだろうか・・・。」
そのときに思い浮かんだのが「美人コンテスト」というアイディアだったのです。開催したコンテストの名前は「東京百美人」。
日本で初のミスコンは明治時代。その時のトップ3をご紹介
ミスコン、現在では大学や地域でそして世界規模で色々なコンテストが開催されていますが、日本で初めてのミスコンは明治時代。初のミスコンは明治24年。芸妓さん100人の写真を掲載して投票するかたちで…
エントリーしたのは、102名の芸者さんたち。主催者は、プロ写真家に彼女たち一人ひとりの写真を撮影させ、その写真を階段の壁面に展示。来場者は階段を登りながら写真を見て、最上階で投票を行うというルールにしました。
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