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玉屋~鍵屋~、は花火屋さんの名前です

玉屋~鍵屋~、は花火屋さんの名前です

現在ではあまり聞くことも少なくなった「玉屋~鍵屋~」の掛け声ですが、これは江戸時代に起こった掛け声で、花火屋さんの名前です。
実際にこの2つの花火屋さんが競演していた期間は江戸時代の中でも30年程度。玉屋が火事を起こしてしまったことで江戸追放となり、それから玉屋はなくなっています。
しかし「玉屋~」の掛け声は今でも残っていますよね。それだけ当時の玉屋の花火は人気だったそうですよ。

現在も続く鍵屋は花火のパイオニア

鍵屋は現在も続いている花火屋です。しかも創業当時から現在まで、常に花火のパイオニアとして活躍しているのです。

初代鍵屋は元々奈良県の出身だそうですが、子供の頃から花火作りが得意で、花火屋になる志をもって江戸にのぼります。そしてその同じ年には幕府に献上するほどの花火屋になっていたのです。

江戸時代の花火は現在の花火のようにカラフルではありませんでした。最近では「和火」と呼ばれている当時と同じ色合いの花火が打ち上げられていることもあります。シンプルな橙色の花火はそれだけでも美しいものです。しかし、色々な色の花火が見てみたいと思うのは、人々の自然な心の動きでした。

明治時代になると様々な発色剤が海外から入ってくるようになってきました。そしてそれらを使って色つきの花火を初めて作ったのが鍵屋だったのです。
そしてこのように色のある花火を「洋火」と呼ぶようになったのだそうです。

そしてもっと時代が下って昭和に入ってからのこと。
それまで人が直接点火していた花火ですが、電気式のスイッチで点火できるようにしたのも鍵屋でした。

伝統と新たな試み

そんな鍵屋は、伝統を引き継ぎながら新たな技術を取り入れて花火をどんどん進化させている、と言えます。
近年では、段々と洋火の陰で人気の落ちていってしまっていた和火を復活させたり、15代目当主は花火についての研究論文の発表などもされているようです。

夏の風物詩花火をこれからもたっぷりと楽しませてくれることでしょう。

 

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