手洗いをしっかりしよう!Japaaan

【戦国合戦のリアル】戦国時代、最下級の家臣の合戦費用は”自腹”!?戦の手柄はどう証明していた?

【戦国合戦のリアル】戦国時代、最下級の家臣の合戦費用は”自腹”!?戦の手柄はどう証明していた?:2ページ目

軍功の確認と影武者

次に興味深いテーマとして、当時の合戦における兵卒たちは、戦の手柄をどうやって確認したのか、というものがあります。

戦場には軍目付がいたものの、軍目付というのは合戦の大局を見るものなので、個々の兵卒の活躍ぶりを確認するのは困難でした。

そこで戦場の兵卒は、複数の者がそれぞれの手柄を確認し合っていたようです。彼らは単独行動ではなく複数で連れ添っており、誰かが敵の首を獲ると、相方がその戦功を確認して証言者となったのです。

最初に敵を討った首は一番首と呼ばれ、真っ先に本陣へ持参し、首帳という台帳に記録されました。

その結果、軍功が認められた者には、主君から感状や恩賞を与えられたのです。

関連記事:

戦国時代、討ち取った敵の首はどうなる?首級が本物か確認する儀式「首実検」とは

古来、手柄を自慢して喜ぶ様子を「鬼の首をとったよう」などと言いますが、戦国時代の武士たちも戦場で倒した敵の首級を高々と掲げ、手柄を宣言する様子が現代に伝わっています。さて、敵を倒した証拠として…

ちなみに、戦国時代と言えば影武者の話がよく出てきますが、当時、実際に影武者と呼ばれる者が存在していたのかどうかは不明です。

例えば武田信玄の病死後には、弟の信廉が信玄の影武者を務めたという逸話があります。唯一無二の当主を守るため、影武者が存在したとの噂はこと欠きません。

他にも真田幸村にも7人の影武者がいたといわれていますが、その実在を証明する史料は今のところ存在しません。

職務の性格上、影武者は存在そのものが秘密にされており、神秘のベールに包まれているといえるでしょう。

3ページ目 13歳で大人の仲間入り

 

RELATED 関連する記事