実は双子だった徳川家康の次男・秀康!存在を隠された双子の弟・永見貞愛の数奇な人生
医療が発達し、現代では双子の出生率が増えたといいます。非常に喜ばしいことですが、戦国時代では双子は忌み嫌われる対象でした。
その最たる例が徳川家康で、次男の結城秀康は双子の兄弟の兄だったといわれています。
肝心の弟は永見貞愛(ながみ-さだちか)と呼ばれる人物ですが、表舞台には出ることがなかったのでどのような人生を送ったか気になる方もいるかと思います。
そこで今回は永見貞愛の数奇な人生をご紹介します。
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産まれてすぐ永見家へ
当時、双子を生むことは犬畜生と同じということで、忌み嫌われていました。
犬畜生とは犬などの動物を指す言葉で、一度の妊娠で2人を生むことは動物と同じと捉えられていました。
そのため、お万の方のもとで生まれた貞愛は、産まれてすぐに亡くなったことにし、お万の方の実家である永見家に養子として出されています。
貞愛と同時に産まれた兄の結城秀康は、家康の正室・築山殿がお万の方を家康の側室として認める前に産まれてしまったことで、重臣の本多重次の計らいで誕生しました。