実は双子だった徳川家康の次男・秀康!存在を隠された双子の弟・永見貞愛の数奇な人生:2ページ目
神主として生きた
永見家の元で育った貞愛は、18歳になる天正19年に知立神社(ちりゅうじんじゃ)の神主を伯父の永見貞親から譲り受け、戦国武将とは程遠い神主として生きました。
ちなみに永見氏は、永見毛神が創始した氏族です。
知立神社との関わりは、白鳳2年(674)に天武天皇が永見貞連を知立神社の神主にしたことが始まりの由緒正しい一族であることがわかります。
貞愛は貞親の娘を妻にし、子の永見貞安に恵まれた何不自由ない生活を送るも、次第に弱っていき、亡くなる前には足が不自由に。そして、慶長9年(1605)11月16日に31歳の若さで亡くなりました。
兄弟間の仲は良好で、慶長2年に蔵米2千俵を送っていたり、秀康が越前国入国の際に弓十張を奉納していたりと常日頃から気にかけていたことがわかります。
その秀康も貞愛の死から3年後の慶長12年(1608)に34歳の若さで病死しています。