実は双子だった徳川家康の次男・秀康!存在を隠された双子の弟・永見貞愛の数奇な人生:3ページ目
鎌倉時代にも双子の兄弟がいた!?
冒頭で記載した通り、忌み嫌われていた双子で生まれてしまったら、1人しか産んでないように片方を間引きしたり、仏門に送ったりと存在が抹消されていました。
そのため、『永見氏家譜』や『柳営婦女伝係』といった史料で記録に残っている貞愛のケースは非常に珍しいことがうかがえます。
しかしながら、貞愛の他に双子で産まれたとされる人物がいました。それは平安時代から鎌倉時代に活躍した甲斐武田氏の祖である武田信義です。
信義は兄の逸見光長(へんみ-みつなが)と同じく大永3年(1128)8月15日に産まれたといわれています。
秀康と貞愛兄弟と違い、光長は木曽義仲討伐に信義は鉢田の戦いや富士川の戦いや参加し、兄弟それぞれ武将として活躍していました。
そのことから、鎌倉時代は戦国時代と比べて双子に寛容だったのではないかとうかがえます。