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一、鯉食ってどうする!
さて、最後の最後で家康が見た白昼夢?回想の鯉エピソード。
信康と五徳の婚礼に際して、織田信長(岡田准一)から贈られた鯉を、家臣たちが食ってしまったエピソード。
何がそんなに大爆笑できたのか(よそ様からの大切な贈り物と知った上であえて食ってしまうという神経が理解できません)理解できませんが、とにかく彼らが面白かったのならそれはもう何も言いません。
ちなみに、これは元ネタがあります(恐らくこれだと思われますが、他にも逸話をご存じの方がいらしたらご教示下さい)。
……いまだ岡崎の城におはしましけるに。御賓客あらむ時の御もてなしのためにとて。長三尺ばかりの鯉を三頭。御池にかひおかせられしを。鈴木久三郎といへる者。ひそかに其鯉一頭とりて御くり屋のものにあつらへ調理させ。志かのみならず其頃織田殿より進らせられたる南部諸白の樽を開て。同僚うちより酒宴せしを。同僚等酒も鯉も上より給はりて。饗する事よと心得て。各よろこびあひて泥酔しまかでたり。其後御池の鯉一頭うせたりと御覧じ付させ給ひて。預りの坊主をめして聞せらるれば。久三郎さる事して。我々もその饗に預りたりと申たるにより。聞しめし驚かせ給ひ。御くり屋のものをたゞされしに。まがふべくもなかりしかば。大に御けしき損じ。久三郎を御成敗あるべしとて。薙刀の鞘をはづし広縁につとたち給ひ久三郎を召けるに。久三郎少しも臆せず。露地口より出て三十間ばかりも進み出しを御覧ぜられ。久三不届もの。成敗するぞと御詞かけさせらるれば。久三郎はをのれが脇差を取て五六間あとへ投すて。大の眼に角をたてゝ。恐入たる申事には候へども。魚鳥のために人命をかへらるゝといふ事はあるべきか。左様の御心にては。天下に御旗を立給はん事は思ひもよらず。さらばとて思召まゝにあそばされ候へと。諸肌ぬぎて御側に近くすゝみよる。其躰思切てみえけるに。御長刀をからりと投すて給ひ。汝が一命ゆるすぞとて奥へ入らせ給ひしが。やがて久三郎を常のおましにめし出て。汝が申所ことはりと聞しめされたり。よくこそ申たれ。汝が忠節の志満足せり。それによりさきに鷹場にて鳥をとり。城溝にて魚を網せしものをとらへをき。近日には刑に行ふべしとめしこめ置しが。汝が今の詞に感じこれもゆるすぞと仰せければ。久三郎も思ひの外なる事とかへりて恐れいり。卑賤の身をもて。恐れをもかへりみず聞えあげし不禮をもとがめ給はず。却て愚言を用ひさせ給ふ事たぐひなく有難し。これ全くゆくゆく天下をも御掌握あるべき。寛仁大度の御器量あらはれ給ひぬとて感涙袖を沾し。志ばしは其座を退く事を得ざりしとなり。……
※『東照宮御実紀附録』巻十九「鈴木久三郎決死諫家康」
長いのでざっくり説明すると、家康がまだ岡崎城にいたころのこと。
家康の鷹場(専用の鷹狩りフィールド。獲物がよく獲れる)や城のお堀で鳥獣や魚を密猟/密漁する家臣たちが相次いで捕らわれてしまいました。家康は処刑する気満々です。
そこで鈴木久三郎という家臣が決心して家康が大事にしていた池の鯉を盗み出し、ついでに信長から贈られた酒もかっぱらってしまいました。
当然、家康は大激怒。久三郎は名乗り出て家康を怒鳴りつけます。
「家臣よりも鳥や魚が大事か!そんなことで天下取りができるものか!」
言われてみればその通り、そもそも家臣たちだって、飢えていなければ密猟/密漁なんてしません。
家康は己の不明を恥じて久三郎を許し、それまで捕らえていた者たちも釈放したのでした。めでたしめでたし。
……というお話し。決して「どうしても鯉を食べたかったから、みんなでドッキリかましてお許しを得たぞワッショイ!」なんて安い話ではなかったのです。
こういう三河武士らしい偏屈さというか心意気を、全編通して魅せてほしかったと思います。
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