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一、本当は秀頼を助けたかった家康。しかし……
劇中では千姫(原菜乃華)の助命嘆願を拒絶した徳川秀忠(森崎ウィン)。
これまであまりに情けなかった彼の非情な決断は、果たして史実だったのでしょうか。
江戸幕府の公式記録『徳川実紀』を読んでみると、確かに秀忠が決断していたようです。
……落城後秀頼母子は芦田曲輪に籠り。姫君御出城ありて。母子助命の事を。本多佐渡守正信もてこひたてまつられしに。御姫が願とあらばそれにまかすべし。秀頼母子をたすけ置たればとて。なでう事かあらむ。汝岡山へゆき 将軍にも申てみ候へとの仰にて。……
※『東照宮御実紀附録』巻十五「家康殺秀頼」
家康は可愛い孫娘の頼みとあって「姫の願いならば、聞いてやらんわけにも行かぬ」と二つ返事。
さっそく本多正信(松山ケンイチ)を使者に立て、秀忠に秀頼母子を助命するよう伝えました。が……。
……正信岡山に参りそのよし申上れば。 将軍家は御気色以の外にて。何のいはれざる事をいはずとも。なぜ秀頼と一所にはてざるぞと宣へば。正信うけたまはり。ともかうも 大御所の思召に任せらるべしと申て。姫君の方へも参りかくと申し。扨八日の朝にいたり、 両御所御参会ありて志ばし御密談あり。……
※『東照宮御実紀附録』巻十五「家康殺秀頼」
「何だと、姫が助命嘆願に参ったと!?」
正信の報せを聞いて、秀頼は激怒します。
「姫は豊臣の嫁となったのだから、秀頼と運命を共にすべきであろうに。少なくとも自分は助かるとタカをくくって助命嘆願とは片腹痛いわ!」
「まぁまぁ、御所(秀忠)様。ここは大御所様の思し召しもございますれば、一つお話し合いになっては……」
という訳で6月8日、秀忠と家康は話し合うこととなったのです。
……諸人のうけたまはる所にて。 将軍家にむかはせられ。必秀頼をば助命し給へ。こゝが 将軍の分別所なりと宣へば。老人のかくまでいふを聞れねば。このうへは力なし。心にまかせ給へとて。いと御不興の御様にて御座を立せられしが。ほどなく井伊が備より芦田曲輪へ鉄砲打かけしかば。秀頼はじめ悉生害ありしよし聞えし。(天元實記。翁物語。)……
※『東照宮御実紀附録』巻十五「家康殺秀頼」
「御所よ。必ず秀頼を助命せよ。豊臣を滅ぼしたい気持ちは解るが、ここが分別のしどころぞ」
家康は秀忠を諭します。ここまで完膚なきまでに倒したのだから、秀頼には謝罪恭順させれば事足りよう。このまま滅ぼしてしまっては、また判官贔屓によって残党たちが暴れ出しかねない。
それよりはむしろ生かしておいて牙を抜いた方がよいのではないか。そちゃんな思惑があったのかも知れません。
しかし、秀忠は頑として聞き入れません。とうとう家康も匙を投げてしまい、秀忠は芦田曲輪へ攻撃を再開。ほどなくして秀頼母子が自害したそうです。
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