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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 【関ヶ原の合戦】死を覚悟した鳥居元忠(音尾琢真)が息子たちに送った遺言がコチラ【どうする家康】

【関ヶ原の合戦】死を覚悟した鳥居元忠(音尾琢真)が息子たちに送った遺言がコチラ【どうする家康】

老臣らの諫言をよく聞き入れよ

……我今年六十二歳になりぬ、三河よりして以来、万死一生のこと其数を知らず、然れども一度も後れは取らず、人間の生死禍福は時の運に在り、求め得べきにあらず、老功の家士の言を尋ね、馴心得たる者の申事を聞き、我意の若気を致さず、諫を納るゝこと肝要なり、……

※『名将言行録』巻之五十一 鳥居元忠

【意訳】わしも今年で62歳じゃ。三河で殿が兵を挙げられてこのかた、死にかけたことは数え切れぬ。それでも一度として後れをとったことはない。人間の生死や幸不幸は時の運に過ぎねば、一喜一憂すべきではなかろう。

年寄りや熟練者の教訓をよく聞いて学び、我がままや若気に走らず、周囲の意見をきちんと聞き入れることを肝に銘じよ。

(これからも、父として色々教えてやりたかったが……)

目先の欲望に引きずられるな

……天下は幾程なくして當君の御手に入るべし、左あらば必ず御取立を受け、大名にも成らなんと思て、御奉公する者もありなん、必ずや此心抔出来らば武士の冥理の盡る端ぞと知るべし、官禄を賜はらん大名に成らんと、欲心に牽かれて貪らんに命の惜からぬことあるべきや、命が惜まれては何の武功を為すべき、武家に生れて忠を心に掛けず、只身上の富を思ふ者は外に諂ひ、内に奸謀を工み義を捨、恥を顧みず、後々末代武名を汚す、誠に口惜しきことなり、……

※『名将言行録』巻之五十一 鳥居元忠

【意訳】秀吉亡き今、天下は間もなく殿の掌中に納まることとなろう。だからと言って今の内に取り入って出世したいなどと思ってはおるまいな?それは武運の尽きる兆しであると心得よ。

やれ官職や俸禄が欲しい、大名になりたいなど欲望に引きずられてしまえば、必ず命を惜しむようになる。ならぬ筈がない。命を惜しんで何が武士じゃ。

武門に生まれておきながら忠義を忘れ、我が身の損得ばかりを考えて偉い者に媚びへつらって内心ではよからぬ事をたくらみ、義を捨てて恥を顧みねば末代まで名誉を汚すことになろう。

もしそのようなことになれば、誠に口惜しき限りである。

最後に

……是等のこと申に及ばざれども、先祖の名を二度挙げらるべし、且つ家の仕置等のことは、兼ねて申談ぜし通なれば、今更申に及ばず、累年定め来る所見も聞もせられたり。第一行跡のこと、嗜み礼儀正しく、主従能く和し、下に憐愍を加へ、賞罰の軽重を正して親疎の依怙あるべからず、人の人たる道を以て本と為すべし、と言遣はせり。……

※『名将言行録』巻之五十一 鳥居元忠

【意訳】これらの事は申すまでもないが、先祖の名誉にあぐらをかくことなく、二度挙げるよう奉公すべし。その他の細かいことについては以前から伝えておいた通りであるから、今さら申すには及ばぬ。

何はなくとも礼儀正しく主君に忠義を尽くし、領民たちを深くいたわり、賞罰は依怙贔屓のないよう公正にせよ。何事につけ、人が人として生きる道を基本とするべし。

……と、ことづてしたのであった。

終わりに

……お疲れ様でした。実に長い遺言でしたね。読んでいると同じようなことが重複する部分もありましたが、大事なことだから二度も三度も言いたかったのでしょう。

なにぶんこれが最後ですから、思いの丈を込めたのが伝わります。

果たして伏見城の戦いで鳥居元忠は討死。永年の忠臣であり友を喪った家康は、復讐に燃えながら天下分け目の関ヶ原に臨むこととなりました。

※参考文献:

  • 岡谷繁実『名将言行録 6』岩波文庫、国立国会図書館デジタルコレクション
 

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