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忠義に生きた49年・その最期を飾る最高の晴れ舞台
……又我等も十三歳にて當君十歳の御時初めて御前へ出しより、今に至て召使はれ、御恩を蒙り忝きこと生々世々忘るべからず、今度関東御進発の時、我々が貞心を能く知召が故に残し置かると仰出され、左しも大切なる上方の押、伏見の御城代を承はること武運の冥理に叶ひたる所なり、天下の士に先立て君恩の為めに命を没す、當家の面目多年の本懐なり、……
※『名将言行録』巻之五十一 鳥居元忠
【意訳】かく言うわしも、13歳の時から殿にお仕えした。殿は10歳にあらせられた。それから今まで49年間、殿から受けた御恩は生涯いや生まれ変わっても忘れはすまい。
こたびの関東遠征(会津の上杉景勝討伐)に際して、殿はわしらの忠義と武勇をよくご存じなればこそ、この伏見城に残されたことを仰せられた。
かくも重大なるお役目を与えて下さったこと、実に武運の冥理(冥利)に尽きるというもの。天下の武士に先だって主君のために命を投げ打つ手本を示す、鳥居家にとってこれ以上の名誉はあるまい。
兄弟互いに助け合い、主君への忠義をまっとうすべし
……我討死の後は、其元我等に代り、久五郎を初め幼稚の弟共を能く痛はり介抱すべし、弟共は新太郎を我らが如く、偏に親と思ひ、何事も背くべからず、各生長して上の御目に掛り、夫々が天性に応じ、何分にも召使はれば面々中善く親み、先祖代々御恩を以て家を立、子孫をも助けたる有り難きことを、常に胸に絶さず、徳川の御家と盛衰安危を共にし外に又と主は取らぬ筋目、寝ても覚ても忘るべからず、……
※『名将言行録』巻之五十一 鳥居元忠
【意訳】わしが討死した後は、そなた(忠政)はわしの代わりに久五郎(鳥居成次)や幼い弟たちの面倒を見てやって欲しい。
弟たちには「新太郎(忠政)を父代わりと思ってよく言うことを聞き、成長したら主君のお役に立つようそれぞれの能力を存分に活かすよう、兄弟力を合わせること。
ご主君あってのご譜代であることを決して忘れず、たとい徳川の御家がどんな窮地であろうと、決して他家へ仕えようなどと考えてはならぬぞ。
欲望に目が眩んで主君を裏切るヤツなど、人間ではない
……国所領に目が昧(くら)み、又は一旦の不足に舊恩を忘れ、仮初にも別心すること人の道にあらず、仮令日本国中が悉く敵に組して背くと雖も、我らが子々孫々盡未来他家に足を入るべからず、唯何事に付ても、一家兄弟心を一致にして忠功を盡し、互に助けられつ義を守り、勇を励み、先祖代々、中にも伊賀守殿より高名の武功世に隠れなき家の譽を穢さじと心掛け、兎に角に一命は御為めに奉げ置きたると心腹に能々思ひ詰たらんには、千変万化の急難が差来るとも、少しも周章(あわつ)ることあるまじ、……
※『名将言行録』巻之五十一 鳥居元忠
【意訳】やれ「国を与える、所領を授ける」などと言われて欲望に目が眩み、また少しくらい不満があったからと御恩を忘れるような輩は人間ではない。たとい日本国じゅう悉く敵に回そうと、我が鳥居家の者は子々孫々にいたるまで他家へ寝返るようなことがあってはならぬ。
ただひたすら一家兄弟が助け合って主君に忠義を尽くし、義を守って武勇に励み、先祖代々特に伊賀守(鳥居忠吉)殿の名誉を汚さぬよう心がけよ。
とにかくそなたらの命は主君のために奉げるものであって、今はただお預かりしているに過ぎぬ。そのことが解ってさえおれば、どんな事態に陥ろうと、少しも慌てるようなことはないのじゃ。
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