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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」信長を殺し、天下を獲る!?第26回放送「ぶらり富士遊覧」振り返り

「どうする家康」信長を殺し、天下を獲る!?第26回放送「ぶらり富士遊覧」振り返り

高天神城の合戦、武田家滅亡

天正9年(1581年)3月22日 高天神城の陥落・岡部元信(演:田中美央)ら討死

天正10年(1582年)1月 木曾義昌(きそ よしまさ)が織田に内通

同年3月 穴山梅雪(演:田辺誠一)が家康に離反

同年同月 小山田信茂(おやまだ のぶしげ)に拒絶され、天目山で自害

ほとんどナレーションで終わってしまった武田勝頼(演:眞栄田郷敦)の最期。上州岩櫃城(群馬県東吾妻町)の真田昌幸(演:佐藤浩市)を頼る道中に討たれたことになっていました。

真田を頼るか、あるいは岩殿山城(山梨県大月市)の一門衆・小山田信茂を頼るか迷った勝頼。

果たして小山田信茂を頼って拒絶された結果、天目山(山梨県甲州市)で自害または討死したのでした。

劇中では勝頼が討死した3月11日の夜に穴山梅雪が家康と謁見したことになっています(※)が、史料を見ると3月1日のこととなっています。

(※)謁見の最中「今朝、天目山で勝頼が討たれた」報せが入っていました。

……十年信濃国福島の城主木曾左馬頭義昌は。かの義仲が十七代の末なりき。近年武田とはむすぼふれたる中ながら勝頼のふるまひをうとみ。ひそかに織田右府にくだり甲州の案内せんといへば。右府大によろこばれ。その身七万餘兵にて伊奈口よりむかはれ。其子三位中将信忠卿は五万餘兵にて木曾口よりむかはるゝよし聞えければ。   君も三万五千餘兵をめしぐせられ。駿河口よりむかはせたまふ。北條氏政も三万餘兵を以て武駿の口よりむかふべしとぞ定めらる。かくと聞て小山。田中。持船などいへる武田方の駿遠の城兵は。みな城を捨て甲斐の国へ迯帰る。   君の御勢は二月十八日浜松を打立て懸川に着陣す。十九日牧野の城(諏訪原をいふ。)に入せ給へば。御先手は金谷島田へいたる。右府は我年頃武田を恨ることふかし。今度甲州に攻いらんには。国中の犬猫までも伐て捨よとの軍令なりしが。こなたはもとより寛仁大度の御はからひにて。依田三枝などいへる降参のもの等は。志ろしめす国内の山林にひそかに身をひそめ時をまつべしとて。うちうち恵み賑はしたまへり。穴山陸奥入道梅雪はかの家の一門なりしが。是も勝頼をうらむる事ありしとて。彌生朔日駿河の岩原地蔵堂に参り   君に対面進らせ。御味方つかうまつらん事を約す。勝頼は梅雪典厩逍遥軒などいへる一門親戚にもおもひはなたれ。宗徒の家の子どもにもそむかれて。新府古府のすみ家をもあかれ出。天目山のふもと田野といふ所までさまよひ。その子太郎信勝と共にうたれたり。……

※『東照宮御実紀』巻三 天正十年「天正十年武田氏亡」

【意訳】木曾義昌は、かの木曾義仲(よしなか)の17代子孫であった。武田の一門衆(亡き信玄の娘婿・勝頼の義兄弟)でありながら勝頼に恨みを持って織田に内通。甲州征伐を先導した。

信長は信濃伊那方面から70,000の大軍を率い、嫡男の織田信忠(のぶただ)に50,000の兵を与えて木曾方面から攻め込ませる。

盟友たる家康も35,000の兵をもって駿河から攻め込んだところ、この機を逃すまじと相模の北条氏政(演:駿河太郎)も30,000の軍勢で東から武田領へ侵攻した。

小山城・田中城・持船城など武田方の城兵は、抵抗することなく甲斐国へと逃げ帰る始末。

家康は2月18日に浜松を出て懸川に到着。翌19日に家康が諏訪原城(牧野城)へ着いた時点で、先鋒は既に金谷・島田へ着くほど長蛇の大軍であった。

ところで信長は永年武田を怨んでおり、こたび甲斐国へ攻め込んだら、犬猫までも斬り捨てるよう厳命。しかし家康は投降した武田旧臣を匿ったという。

穴山梅雪も武田の一門衆(信玄の甥であり娘婿)でありながらこれまた勝頼を裏切って3月1日に家康へ投降。こうして一族からも見限られた勝頼は、天目山のふもとで嫡男・武田信勝(のぶかつ)ともども討たれたのである。

……ちなみに、武田の一門衆でありながら勝頼を裏切った木曾義昌・穴山梅雪・小山田信茂。彼ら3人の末路は悲惨なものでした。

木曾義昌は家康に仕えたものの、後に家康を裏切って羽柴秀吉(演:ムロツヨシ)に従いますが、秀吉は義昌を家康に突き返します。とうぜん冷たくされ、不遇のうちに生涯を終えました。

穴山梅雪は家康に従ったものの、同年6月2日に本能寺の変のドサクサで落ち武者狩りに遭い、殺されてしまいます。

そして小山田信茂は捕らわれて信長に処刑されました。その罪状が「武田家に対する不忠」とから目も当てられません。

ともあれ甲斐源氏の名門として、数百年にわたり君臨してきた武田家の滅亡は、今も人々に惜しまれています。

※岡部元信の最期

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※武田勝頼の残党に対する態度

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天正10年(1582年)3月11日、甲斐国天目山(山梨県甲州市)で自害した武田勝頼(演:眞栄田郷敦)。ここに平安時代から数百年の永きにわたり甲斐国を治めた源氏の名門・武田家は滅び去ります。…

3ページ目 天正伊賀の乱について

 

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