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「どうする家康」信長を殺し、天下を獲る!?第26回放送「ぶらり富士遊覧」振り返り:3ページ目
天正伊賀の乱について
劇中、伊賀国の者たちが信長によって壊滅状態に追い込まれたことが何度か言及されていました。
これは後世に言う「天正伊賀の乱」。信長の次男である織田信雄(演:浜野謙太)が独断で伊賀へ攻め込んで返り討ちに遭ったことを憤り、信長が重ねて派兵した一件を指します。
天正7年(1579年)9月16日に信雄が攻め込み、9月17日に返り討ちされ、9月18日に敗残兵をまとめて引き上げたのでした。
当時の信長は石山本願寺との戦いが優先であったため、和睦して片がついた天正9年(1581年)9月に信長が10万以上の大軍を導入。伊賀方の犠牲者は非戦闘員も含む30,000以上と言われます。
このことから、伊賀者たちは信長を激しく憎みました。当たり前ですね。
劇中で服部半蔵(演:山田孝之)が「伊賀から逃げて来た者らを100名ばかり匿っている。いつでも動けるように手なづけておく」と言ったのは、既に家康が信長の暗殺などを考えていた(その意を受けていた)からと考えられます。
しかし、明智光秀(演:酒向芳)が家康に対して「伊賀を徹底的に滅ぼせ」的なことを言っていたのは時系列的にどうなのでしょうか。
まだ伊賀国内に叛乱の芽がくすぶっていたのか、それとも単に光秀の嫌なヤツぶりを示したかったのでしょうか。
(まぁ勝頼の兜首を持ち出して「さぁ八つ当たりして下さい!」などと言い放ち、辱める露骨な悪役ですから、恐らく後者と思われます)
果たして家康に匿われたこの伊賀者たちが、この後どう活躍してくれるのかどうか、期待しておきましょう。
※織田信雄が返り討ちに遭った合戦
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