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「どうする家康」殿は、きっと大丈夫。信玄は既に……?第18回放送「真・三方ヶ原合戦」振り返り:3ページ目
「殿は、きっと大丈夫」夏目吉信の最期
……浜松御留守に置らし夏目次郎左衛門吉国与力廿四五騎引連れ馳来りて某御名を名乗り御命にかハり申べし皆々早く御供して御帰城有べしと申神君何ぞ汝一人を捨て殺すべき我も一所に討死すべきぞと仰らるゝ夏目大の眼をいからし言甲斐なき御心哉大将たらん人ハ後度の功を心掛給ふ古そ簡要なれ葉武者の働きし給ひて何の益かあらんと怒れる眼に涙をうかめ御馬の轡を取て浜松の方へ引廻し於側に付居たる畔柳助九郎武重に早く御供申せと云ながら持たる鎗の柄を以て御馬の尻を叩けバ御馬ハ流石に逸物なり飛が如くに馳り行其跡にて夏目ハ十文字鎗を振ひ追来る敵二騎突落し其外を追拂ひ猶も進んで敵中に入て与力士廿五騎と共に一人も残らず討死す……
※『改正三河後風土記』「三方原大戦の事」
さて、家康から金陀美具足をはぎとり、影武者として壮絶な最期を遂げた夏目吉信。伝記に残るその最期を、こちらに紹介します。
浜松城で留守をあずかっていた夏目吉国(よしくに。吉信)は、窮地に陥っている家康を救出すべく手勢24~25騎を率いて駆けつけました。
「それがしが殿のお名前を名乗って身代わりとなります!皆々様は殿をお守りして、早く城へお戻りくだされ!」
しかし家康は聞き入れません。
「嫌じゃ!そなた一人を見捨てて生き延びるなど出来ぬ!ここで共に討死しようぞ!」
すると夏目は大きな目玉をひんむいて叱りつけます。
「何とバカなことを仰せか!大将とは何があろうと生き延びて後日の勝利をつかむもの。木っ端武者の働きをしたところで、何の意味もございませぬ!」
夏目はそう言いながら涙を浮かべ、家康が乗っている馬の轡(くつわ)をつかむと、無理矢理に浜松城の方向へ引き向けました。
「早う行け!」
家康に従っていた畔柳武重(くろやぎ たけしげ。助九郎)を叱りつけるなり、槍の柄をもって家康が乗っている馬の尻をぶっ叩きます。
「やめろ、夏目!夏目!」
馬は一目散に浜松城の方角へ。それを見届けてから、夏目は十文字槍をしごいて迫りくる武田の大軍へ突入。ことごとく討死したのでした。
文献を読んでいるだけでも切羽詰まった緊迫感が伝わってくるようですね。
4ページ目 「まさか本当にやるヤツがいるとは…」空城の計について
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