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「どうする家康」正信&半蔵の名コンビ始動、服部党の忍びたちの意地…第5回放送「瀬名奪還作戦」振り返り:3ページ目
名コンビ誕生?本多正信と服部半蔵の活躍に期待
「お方様とお子様方を、駿府からこっそり盗み出すのです」
うん、そうだね。それが出来たら苦労しないね……そう思ったのは、きっと筆者だけではないでしょう。
まさに言うは易しの典型ですが、では実際どのように行うのか、その手段として服部党の忍びを使うということでした。
半蔵は「忍びはやるなと、父の遺言がある」と固辞していたものの、何か出典(元ネタ)はあるのでしょうか。
押し問答の末に半蔵へ銭を押しつけ(半蔵は押しに弱い性格設定のようです)、いざやると決まったら、鉛玉?を穴に転がし入れてピタゴラスイッチ。
報せを受けた穴熊が、狼の遠吠えで雌伏していた仲間たちに再結集を促すシーンは、ちょっとワクワクしてしまいましたね。
しかし永らく盗みで糊口をしのぎ、ガラの悪い服部党の忍びたちを毛嫌いする半蔵に、「わしも、こいつらが嫌いじゃ」と聞こえよがしに同意する正信の態度はいかがなものでしょうか。
これから命を賭けて共に闘う仲間に対して、敬意や誠実さが何もありません。もし筆者が忍びの立場であれば「何だこの野郎、今に見ておれ」と何がしかの機会(それが何かは、その機会まで秘密です)を狙うようになります。
いくらバカにしていたって、そんな彼らを恃みにするしかない状況です(少なくとも劇中においては)。半蔵も正信も、そして岡崎で笑っていた家臣団も、もう少し配慮があって然るべきでしょう。
それにしても詐欺ばかりの正信はともかく、特に悪さもしていない(少なくとも劇中で言及がない)はずの半蔵まで「鼻つまみ者同士」と言われていましたが、どういうことでしょうか。
本作で「忍びは卑しい」という価値観があることは解りました。だから忍びを使う半蔵も卑しまれているものと考えられます。
しかし「アイツは忍びを使う」と大っぴらに知れ渡っていたとしたら、随分と仕事がやりにくかったはずです(それは遠回しな利敵行為につながるのですが……)。
「命懸けで働いておる者を笑うな!」
家臣団を叱りつける元康。かつて大高城で命懸けの家臣たちを見捨てて逃げようとした(第1回放送)彼ですが、その反省と成長が見られますね。
(言うまでもなく、元康が家臣を見捨てて逃げようとしたのは完全なフィクションです。念のため)
ところで、新キャラ登場に際して元康が自分の家臣を把握していないのはいただけません。15歳で岡崎へ久しぶりに戻って来た時点ならまだしも、初陣以降は誰一人として欠かせない貴重な戦力です。
そして「大高兵粮入の時も足の骨を折ったと仮病でサボった」などと言及されていましたが、『佐久間軍記』によると正信は桶狭間の合戦(丸根砦の攻略)で膝を負傷。以来足を引きずるようになっています(決して仮病使いでも臆病者でもなかったのです。念のため)。
4ページ目 穴熊、大鼠……服部党の忍びたちが見せた「プロの意地」
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