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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」えぇ!?まさかのいきなり桶狭間!第1回放送「どうする桶狭間」振り返り

「どうする家康」えぇ!?まさかのいきなり桶狭間!第1回放送「どうする桶狭間」振り返り:2ページ目

【予備知識】まずは元康の誕生から桶狭間まで

まずは予備知識として、今回放送した以前の出来事を略年表にまとめましょう。

天文11年(1543年)誕生、幼名は竹千代。1歳

天文13年(1545年)政治的理由で両親が離婚、母・於大の方と生き別れに。3歳

天文16年(1548年)竹千代、今川義元の人質に出されるも織田信秀に奪われる。6歳

天文18年(1550年)父・松平広忠が病死。竹千代は今川義元の元へ。8歳

弘治2年(1556年)竹千代が元服し、義元から一字もらって次郎三郎元信と改名。烏帽子親は関口親永(氏純)、その夜に親永の娘(瀬名)を正室に迎える。15歳

弘治3年(1557年)亡き祖父・松平清康から一字もらって松平蔵人元康と改名。16歳

永禄元年(1558年)元康の初陣(寺部城の鈴木重教を攻める)。17歳

永禄2年(1559年)嫡男・竹千代(後の松平信康)誕生。18歳

永禄3年(1560年)大高城へ兵粮入。桶狭間で今川義元が討死。18歳

※『東照宮御実紀』による(諸説あり)。また西暦は和暦と若干のズレがあるため参考までに。

第1回放送では弘治2年(1556年)から永禄3年(1560年)までの約4年間が描かれていましたが、実に展開が早いですね。

個人的には譜代の家臣たちと乗り越えた苦難の時代や、今川義元との間に育まれた父子同然の絆をもう少しじっくり描いて欲しく思いました。

限られた尺にそれを凝縮する工夫は感じられるものの、戦国ファンの一人としては「そこが観たかったのに」と、いささかの残念さは禁じえません。

まして従来の愚将イメージから「海道一の弓取り」に改まりつつある義元を、広く知ってもらう絶好の機会だったのに……早々の退場が惜しまれます。

個人的にはヒロイン・瀬名とのやりとりやままごと遊びに使う時間をもう少しそっちに……いえ、野暮はよしましょう。

何より物語は始まったばかり、これからじっくりと描かれる展開に期待大です。

3ページ目 元康と愉快な仲間たち【三河・松平家臣団】

 

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