都育ちはダテじゃない!『新古今和歌集』に載った源頼朝の和歌を紹介【鎌倉殿の13人】:3ページ目
仲良しだった?頼朝と慈円の軽妙なやりとり
こちらは少し掛詞の技巧が多いため、両者の歌のフレーズを少し分解してみましょう。
「いな陸奥の」は「否(いな)み」と「陸奥(みちのく)」が合わされ、陸奥と言えば住んでいるのは蝦夷(えぞ、えみし)の人々。
「えぞ」と平仮名にすることで「得ぞ~(~し得ぬ)」の意味がかかりました。
対する頼朝の返歌。陸奥の地名である岩出(いわで。岩手)と信夫(しのぶ。福島)を合わせて「言わで、忍ぶ(言わずに黙っている)」の意味をかけます。
そこへ「えぞ知らぬ」を加えて「言わないで黙っていては、私も知り得ようがありません」というメッセージに。
下の句はそのままですが、慈円の「壺のいしぶみ 書き尽くさねば」に対して、フレーズを逆転させた「書き尽くしてよ 壺の石ぶみ」と返してリズムをとっています。
この軽妙なやりとりから察するに、頼朝と慈円はかなり気が合ったのではないでしょうか。
(歌には言葉のセンスや好みなどが出るため、そのやりとりに互いの相性が分かることも多いもの。往時の貴族たちがよく和歌を詠んだのは、相手を見極める社交のテクニックだったのかも知れませんね)
終わりに
よく文章なら何とでも書ける、心にもないキレイゴトも言える……という方がいます。
しかし、いざ書こうとすると自分の意思に反することを書くのはとても負担が大きく、創作でもなければやはり自分の本心が現れてしまうものです。
「せっかく富士山を見るなら、晴れていた方がよかったのに……」
「遠慮しないで、腹を割って話して下さいね!」
どちらも頼朝の偽らざる本心であり、それがゆえに人々の心を打って『新古今和歌集』の勅撰に与かったのではないでしょうか。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では恐らく割愛されてしまうのでしょうが、こうした和歌も場面々々に添えていただけると、ファンとしては嬉しく思います。
※参考文献:
- 菊池威雄『鎌倉武士の和歌 雅のシルエットと鮮烈な魂』新典社、2021年10月