大河ドラマ『青天を衝け』では町田啓太が好演! 『ゴールデンカムイ』や『銀魂』で話題の、「最後の侍」はどのように箱館で戦った?幕末随一のイケメンにして、新選組副長・土方歳三 :3ページ目
箱館での最後の戦いと死因
やがて箱館共和国に運命の日が訪れます。
5月11日、新政府軍は箱館に総攻撃を開始。新政府軍の総兵力が一万近い大軍に対し、箱館軍は三千もいない小勢でした。
新政府軍は箱館山に奇襲攻撃を行い、箱館市街地を瞬く間に占領します。
このとき、孤立した弁天台場には、島田魁ら新選組の生き残りが立て篭っていました。
歳三は知らせを聞くや、弁天台場救出に出陣。配下の兵と共に一本木関門に到着します。
一本木関門は、箱館市街地と五稜郭の中間地点に位置していました。
歳三が到着したとき、一本木関門には箱館から敗走する味方が押し寄せて来ていたようです。
ちょうどそのとき、箱館軍の軍艦・蟠竜が新政府の朝陽丸を撃沈。歳三は「この機を逃すべきではない」と判断し、副官の大野右仲に声をかけます。
「速やかに兵を進めよ。我はこの柵にあって、退く者を斬る」
大野は敗走する味方を率いて前進。敗走する箱館軍は瞬く間に勢いを取り戻していきました。
しかし無情にも、その時は訪れてしまいます。
歳三は馬上で敵弾を腹部に受けて落馬。そのまま息を引き取ったと伝わります。
享年三十五。辞世は「鉾とりて月見るごとにおもふ哉あすはかばねの上に照かと」と伝わります。
京都から始まり、六年にも渡って最前線で戦い続けてきた男の最期でした。
市村鉄之助が届けた歳三の写真(現在も歳三の子孫が運営する土方歳三資料館に刀と共に展示)
話は歳三の生前に戻ります。
土方歳三には、市村鉄之助という小姓(新選組隊士)がいました。
市村は明治2(1869)年の段階で十六歳、歳三からすれば子供でもおかしくない年頃です。
箱館軍と新政府軍の間で戦争が迫ったある日、歳三は自室に市村を呼びました。
土方は市村に命じます。
「私の生まれ故郷の日野に、遺品を持って行け」
箱館から逃げろ、と歳三は市村に言っていました。
京都時代には、新選組隊士の脱走を堅く禁じていた歳三です。
事態がそれほど切迫すると同時に、市村を死なせたくないという思いが見て取れます。
歳三の思いを感じた市村ですが、申し出に首を縦には振りません。
「私は討ち死にする覚悟はできております。その役目は誰か他の者に命じてください」
歳三は表情を怒らせ、手元に刀を引き寄せました。
「我が命が聞けないなら、今ここで討ち果たすぞ」
凄む歳三に対し、市村はやむなく頷きます。
すると歳三はニコッと笑いました。
「日野の佐藤家は、必ず面倒を見てくれる。気を付けて行けよ」
歳三は市村に、自らの写真と佐藤家への手紙、50両(約500万円)の金を渡しました。
市村が五稜郭の外に出た時のことです。
振り返ると、窓の向こうから自分を見ている人影があったと言います。
「土方隊長だったのだと思います」
市村はそう語り残していました。
やがて市村は武蔵国の日野に到着。佐藤家で歳三の訃報を聞き涙しました。
市村が届けた写真が、現存する土方歳三の写真です。
歳三の写真は、彼の愛刀・和泉守兼定と共に現在も土方歳三資料館(運営は土方歳三の子孫の方)に展示されています。