大河ドラマ『青天を衝け』では町田啓太が好演! 『ゴールデンカムイ』や『銀魂』で話題の、「最後の侍」はどのように箱館で戦った?幕末随一のイケメンにして、新選組副長・土方歳三 :4ページ目
漫画『ゴールデンカムイ』は本当の話? 土方歳三の生存説は実際していた!? 遺体を埋葬した墓は現在も見つかっていない。
土方歳三は、明治2年5月11日に戦死したー
通説ではそのようにされています。しかし本当にそうなのでしょうか?
漫画『ゴールデンカムイ』では、土方歳三の生存説を採用して、実際に戦う姿が描かれています。
土方歳三は生きていたのでしょうか?
実際に歳三が戦死した時の話を見ていきましょう。
箱館戦争中、御庭番出身の小芝長之助が土方歳三の遺体を受け取りに言ったと言われます。実際に小芝は大正時代になって、日野にある歳三の生家を訪ねています。よほど印象的だったことでしょう。
だとすれば、小芝は歳三の遺体が埋葬された場所を知っているはずです。日野の歳三の生家にも伝えていておかしくありませんね。であれば、何故に歳三の墓の場所が公にされていないのか?
このとき、小芝は「五稜郭の中のどこかに埋めた」とだけ言い残したそうです。
詳細に伝えられないのは、実は生きていたからだとも勘繰りたくなりますね。
全ては憶測ですが、歳三が死んだという証拠もないのです。
つまり生きている可能性さえある、と言えます。
歳三の墓の場所については「(伊庭)八郎君の墓は函館五稜郭、土方歳三氏の墓の傍らに在り」と史談会記録にあります。
伊庭八郎は旧幕臣の凄腕の剣客として知られています。
伊庭の埋葬地も五稜郭の中のどこかだと考えられますが、歳三と同様に判然としていません。
興味深いのは「ロシア亡命説」です。
歳三は戦死をせず、海を渡ってロシアへ逃げたという話。こちらにも確たる証拠はなく、憶測の域を出ていません。
源義経が海を渡ってチンギス・ハンになった、という伝説の類と何ら変わりないのが実情です。
歳三のそばにいた沢忠助は、歳三の死を証言しています。
落馬した、という話は敵味方にも伝わっているので、被弾した可能性は高いでしょう。しかし肝心の沢も動向が途切れており、さらなる研究が待たられるところです。
最後に言えるのは、生存説が出るのは人気者の証だということです。
性格まで超イケメンだった!? 土方歳三の人柄とは? 同時代を生きた渋沢栄一らの証言から追う
土方歳三は、旧幕府の立場からしばらくは歴史上でも悪人として扱われてきました。
しかしその評価は正しくはありません。
むしろ歳三は、戦術や調整能力において、薩摩や長州の出身者よりも格段に能力を持っていました。
実際に伊豆の韮山代官・江川太郎左衛門(領地が歳三の故郷である多摩地域)は「豪邁不屈、胆気非常の男」と評しています。
江川は当時は随一の開明家で、反射炉の製造や農兵隊の編成にも関与した人物でした。
新選組は江川の農兵思想に近く、歳三は多分に影響を受けていました。
歳三が持つ、形にとらわれない柔軟な発想は、はやくから周囲に認められていたようです。
さらにもう一人の話を取り上げます。
明治の大実業家・渋沢栄一は、幕臣時代に歳三と関わりを持っています。
謀反人逮捕に対し、渋沢は新選組に協力を要請。このとき、一隊を率いて現れたのが副長である歳三でした。
このとき、渋沢は単身での逮捕を主張しています。
しかし新選組隊士が反発。歳三が渋沢の言い分を是として、受け入れるという出来事がありました。
渋沢は歳三を「土方歳三といふ人が事理の理解つた人であつた」と評価しています。
幕末から明治まで、渋沢は多くの人物と交流しています。
渋沢が高く評価した、平岡円四郎や井上馨などは、いずれも天下国家に影響を及ぼす人物たちでした。
歳三も渋沢の見識から見て、相当な人物と評価されていたようです。