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【BLの歴史は古い】日本における男性同士の性愛「男色・衆道」の歴史を振り返る

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江戸時代、男色文化の全盛から目立たぬ存在へ

江戸時代前期においては、男色文化が全盛期を迎えたといわれています。徳川幕府の15人の将軍のうち、7人に衆道関係があったと伝えられています。

なかでも有名なのが、三代将軍徳川家光。彼は一説によると、若いときの苦い経験から、女性を受け付けなくなってしまた時期があり、それ以降少年たちに愛が向いていったそうです。そして、それを春日局が心配し、結果として大奥ができたともいわれています。

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井原西鶴の『好色一代男』など、町人文化の題材にも男色は取り上げられるなど、全盛を迎えることとなりますが、江戸時代中期・後期になると、次第に目立たぬ存在になっていきました。

いかがでしたか?

今回は、日本の男色文化の歴史的な変遷をたどってみました。僧や公家など、限られた人々から始まり、町人文化にまで浸透する過程がおわかりいただけたのではないでしょうか。

この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

 

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