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源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【七】

源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【七】:3ページ目

浮気が原因で勃発!壮絶な夫婦喧嘩

頼朝がなかなかの「女たらし」であったという話は以前にしたと思いますが、政子と結婚してからは、彼女が浮気を許しませんでした。

と言って、それでキッパリやめられるくらいなら、そもそもこの世の男女問題など、その93%が存在しない筈なのです。

バレなきゃいいんだ、バレなきゃ……頼朝は伊豆国に流されていた頃から可愛がっていた亀の前(かめのまえ。おかめ)という女性を、右筆である伏見広綱(ふしみ ひろつな)邸に連れ込んで密会していたのでした。

……しかしこういう場合、大抵バラしちゃう奴が現れて、修羅場になるのがお約束。バラしたのは舅・時政の後妻で、政子の継母に当たる牧(まき)の方

こいつがなかなか嫌な奴で、後々まで鎌倉武士団にトラブルの火種を持って来るのですが、若くて綺麗だったのか、妻に先立たれて寂しかった時政を、その意のままに操ります。

ともあれ政子は大激怒。牧の方の父(一説に兄)である牧三郎宗親(まき さぶろうむねちか)に命じて伏見広綱の屋敷を破壊させました。

「そんな無茶な!」

広綱にしてみれば、ただ亀の前を預かっていただけなのに、屋敷をまるごとぶっ壊されてはとばっちりもいいところです。

しかしこのまま亀の前を引き渡そうものなら、何をされるか分かったもんじゃない……広綱は亀の前を逃がすと共に、自分の身も危ないと姿を消してしまいます。

「おのれ、政子め!」

政子の差し金による襲撃事件を知った頼朝は逆ギレ、とりあえず宗親を呼び出しました。

(宗親は舅・時政の舅だから、自分にとっては義理の祖父に当たり、手を出しにくいが……かまうものか!)

完全に逆上していたものの、政子を直接責めることは出来なかったため、とりあえず宗親の髻(もとどり。結髪)を切り捨てるという暴挙に出ます。

この時代、烏帽子が外れて髻が人前に晒されるだけでも非常に恥とされたのに、さらに切り捨てるとは、死にもまさる屈辱でした。

4ページ目 奉公は実に難しい……何はともあれ一件落着

 

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