源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【七】:2ページ目
よくわからないけど褒められた!
そんな事もありましたが、それまで敵対していたほとんどの者は赦免されて頼朝の御家人となり、義時や父・北条時政(ときまさ)など挙兵当初から従っていた者については、大いに褒賞されました。
「流人の身であった佐殿が、ここまで立派になられようとは……」
「さすがは姉上(頼朝の正室・北条政子)の見込んだ男、と言ったところでしょうか」
「あの時は本当に肝を冷やしたが……ま、結果オーライかのぅ」
頼朝の「身内」として苦楽を共にしたことで信頼を勝ち取った北条一族は、頼朝から重用されて家子(いえのこ)に取り立てられます。
家子とは門葉(もんよう。義経など、源氏の血縁者)とその他の御家人との中間に位置する「特別な御家人」と言った存在で、中でも義時は「家子の專一」と呼ばれるほど寵愛を受けていたようです。
さて、常陸国(現:茨城県)の佐竹(さたけ)氏らを倒して坂東に勢力基盤を固めつつあった寿永元1182年11月。義時はいきなり頼朝に呼び出されます。
「江間小四郎義時、参りました」
いったい何の用だろう……そう思った義時が参上すると、頼朝は欣喜雀躍。鼻先が触れそうな距離まで迫って来ました。
(近い近い近い近い!)
「あの……佐殿、此度はいかなる御用向きで……」
「え?あぁ。いや、その……うん」
本当に何があったのか、どう見ても頼朝の様子が変です。
「まぁいいんだ。何でもないんだ。そなたの忠義、しかと解った!追って褒美を沙汰するゆえ、もう下がってよいぞ!」
「……はぁ……?」
さっぱり意味が判らないまま退出した義時でしたが、後から周りの者に聞いたところ、自分の知らないところで色々あったようです。