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源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【七】

源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【七】:4ページ目

奉公は実に難しい……何はともあれ一件落着

「おのれ……この怨み、晴らさでおくべきか!」

髻を切り捨てられた宗親は恥辱のあまりその場から逐電、そのまま行方をくらましてしまいました。

「あぁ……あなたは父上がかような仕打ちを受けても、泣き寝入りなさるおつもりですか!」

牧の方から突き上げられて、時政は頭を抱えてしまいます。まったく佐殿め、こっちの面子も考えず……。

「そもそも、佐殿なんて元をただせば流罪人。それが今日あるはあなたのお引き立てあってこそ……にも関わらずこの仕打ち……もはや堪忍なりませぬ!」

義父上はもちろんお気の毒としても、若い後妻の前で恥をかかせおって……そういうつもりなら、こっちにも考えがある……という事で、時政たちは一族をまとめて鎌倉を去り、伊豆国へと帰ってしまいました。

「何だと!」

時政が離反したとの報せを受けた頼朝は、大いに慌てふためきます。ようやく鎌倉の地盤を固めつつあると言っても、それは御家人たちの支持があってこそ。その筆頭である北条一族が離反したと知ったら、他の勢力もどうなってしまうか分かりません。

「小四郎(義時)は?小四郎はおるか!」

ほぼ半狂乱で頼朝は叫びます。手許においていた義時までいなくなっていたら、北条一族の謀叛は決定的……鎌倉はもう終わりです。

が、義時は鎌倉に残っていました。だからあんなにも頼朝は喜んだのですが、どうも義時は牧の方から疎まれていたようで、それで北条一族からハブにされていた可能性もあります。

やがて時政も頼朝と和解、鎌倉に帰ってきてひとまずは一件落着。何が喜ばれ、何が勘気に触れるのか……奉公とは実に難しいものだと思ったことでしょう。

【続く】

※参考文献:
細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社、2012年8月
細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』講談社学術文庫、2019年10月
坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書、2018年12月
阿部猛『教養の日本史 鎌倉武士の世界』東京堂出版、1994年1月
石井進『鎌倉武士の実像 合戦と暮しのおきて』平凡社、2002年11月

 

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