不器用すぎる親心?織田信長が子供たちにつけたユニークすぎる名前を一挙紹介!:3ページ目
三七(三男・織田信孝)
三男だから三は判りそうなものですが、七って何なのでしょうか。
別に3月7日生まれではないし、信長が37歳の時に授かった子という訳でもないし、掛け算して21にまつわるエピソードも特に見当たらず……。
もしかしたら、例によって?信長が思い付きで命名した可能性も否定できないため、あまり深く考えない方がよさそうです。
於次丸(四男・織田秀勝)
「……次!」そんな信長の声が聞こえて来そうなネーミングです。弓の稽古でもしていて、次の矢を催促していたのか、家臣たちに試合でもさせていたのか、そんなぞんざいさが感じられます。
あるいは服が破れたので継ぐ(かがる)ための布を持つよう命じたのか、どの説にしても、あまり深く考えていないことは間違いないでしょう。
御坊丸(五男・織田勝長)
御坊(ごぼう)とは文字通り「おぼっちゃま」の意味ですが、信長が自分の子供をそんな猫っ可愛がりするとは思えません。
もしかしたら味噌汁に牛蒡(ごぼう)でも入っていたのを口走り、それでは不憫だと家臣たちが漢字を変えたのかも知れません(信長も、名前の漢字表記など気に留めなかったでしょう)。