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自慢したい系雑学!お菓子の最中ってなぜ「さいちゅう」って書くの?一体、何のさいちゅうなんだ?:2ページ目
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商業化されたのは江戸時代
時代は下がり、江戸時代。江戸新吉原の廓内にあった菓子屋竹村伊勢が、平安時代のその餅菓子になぞらえて「最中の月」をという菓子を売り出しました。
遊女も喜ぶ名物「最中の月」が人気、江戸吉原スイーツの名店「竹村伊勢」
吉原限定の名物スイーツ上は花魁から、下は無名の遊女に至るまで美女が妍を競った吉原ですが、見どころは美人ばかりではありませんでした。今の東京の歌舞伎町や銀座、大阪のなんばのような繁華街・歓楽街をも兼…
その原型は実ははっきりとされていません。もち粉に水を入れこねて蒸し、薄く円形に切りそろえたものを焼いて、砂糖をかけた干菓子だとも、餡ころ餅のようなものだったともいわれています。
そして最中の月から、次第に「月」がとれてただの「最中」という名前に定着していきました。ちなみに最中は丸かったので、四角い最中は「月見の窓」と呼ばれていました。
日本橋では餡を挟んだ最中饅頭が販売。中に餡を挟むという形式が定着していったことがわかります。
更に時代が下がり明治には金型が普及し、餡を包む皮に意匠がほどこされ、俵型や梅型や短冊型、店の名前が象られた皮など様々に発展していきます。
いかがでしょう。まとめると最中は「十五夜」のことだったんですね。
中秋の名月はすぎてしまいしたが、次の十五夜にはお菓子の最中で月を愛でてみてはいかがでしょう。その時は是非、まぁるい最中で。
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