痴漢や売春もあった?江戸時代は混浴だった銭湯や温泉はどうして減少していったのでしょうか:3ページ目
1853年に黒船で日本に来航したペリー提督は、日本遠征記の中で日本人の混浴に関しても触れています。「日本人は道徳心が優れているにもかかわらず、男女が裸体で混浴しているところを見ると、その道徳心に疑いを挟まざるを得ない」…と、かなりショッキングだった様子です。
そんな西洋からの批判的な目もあり、明治時代になってからも混浴禁止令は幾度となく出され、明治末期には混浴の場はかなり減ったようです。明治時代に入って西洋の文化が一気に日本に流れ込み、日本人の、異性の裸に対しての考えに変化があったことも、混浴が減少した要因のひとつであったと考えられます。
数は多くはありませんが、現在でも混浴の温泉は存在します。庶民の暮らしに根付いた文化を変えるということは、一筋縄では行かないものなのですね。