痴漢や売春もあった?江戸時代は混浴だった銭湯や温泉はどうして減少していったのでしょうか:2ページ目
さらに湯女(ゆな)と呼ばれる、垢すりや体を洗うサービスを提供する女性を抱えた銭湯も増加していきました。湯女のサービスは徐々にエスカレートしていき、銭湯が売春の場と化していきます。
また、銭湯をデートスポットとして使用するカップルもいたようです。当時の銭湯はとても暗かったので、銭湯の中でイチャついたりもしていたのでしょう。痴漢行為があったくらいですから、その現場を覗き見しようとする人がいたことも容易に想像がつきます。
野外、銭湯、出会茶屋?江戸時代はどのような場所で愛を営んでいたのでしょう?
江戸時代の男女は、様々な場所で愛を営んでいたようです。室内だけでなく、屋外でも楽しんでいました。ただ、経済的に余裕がある男女と庶民だと、愛を営む場所も異なるようですね。裕福な男女はいずこで?家…
そんな銭湯の状況を風紀の乱れと判断し、1791年に混浴禁止令が出されます。しかし禁止令が出されても混浴が無くなることはありませんでした。その後、1841年に水野忠邦が禁止令を出したりと幾度となく混浴禁止令が出されますが、ニュースメディアが発達した現代とは違い、地方にまで規制を広めることなども難しい江戸時代ですから、混浴根絶は容易ではなかったようです。
禁止令によって混浴ではない銭湯も徐々に増えていったことも確かですが、そこにはまた違った問題も出てきていたようです。
江戸時代の銭湯は混浴の時代も…それでも江戸の女子が銭湯に通う理由
数少ないといえども、今もなお残っている混浴温泉を楽しむ人がいる一方で、ちょっと困った人たちもいるってご存知ですか?混浴温泉に何時間も入り、女性を待ち伏せすることから、ワニ族と呼ばれる人たち。なかなか絶…