語源はポルトガル語のコンフェイト?和菓子界の宝石「金平糖」の魅力と歴史に迫る
金平糖の歴史
まるで宝石のようなカラフルな色と、デコボコした突起のある個性的な形が特徴の、金平糖。最も良く知られている和菓子の1つですが、いったいいつ、どうやって誕生したのかご存知でしょうか?
金平糖は、戦国時代に「南蛮菓子」の1つとして、ポルトガルから日本へ持ち込まれました。
その正確な年代については諸説ありますが、キリスト教の宣教師ルイス・フロイスが、当時の権力者だった織田信長に京都の二条城で謁見した際に、献上された品の中に金平糖があったという説が有力です。
江戸時代の初期には、金平糖は西日本を中心に流通し、主に「献上品」として使われていました。中期になると長崎などの一部の地域で作られるようになり、18世紀には庶民の間にも広まっていきました。
明治時代以降は「おめでたい高級お菓子」ということで、慶事の際の引き出物として使われる他、お土産物や来客用のお菓子としても人気となり、一般家庭にも広く親しまれるようになりました。皇室で慶事の際に引き出物として出されるボンボニエールにも、金平糖を加えて供されています。
金平糖の作り方
このようにして、現在ではすっかり庶民の間でも一般的となった金平糖ですが、あの角がたくさん飛び出た独特のフォルムは、一体どのようにして作られているのでしょうか?
金平糖の原料は、ザラメと糖蜜です。これを「銅鑼(どら)」と呼ばれる大きな釜を使って熱しながら回転させ、かき混ぜていきます。
熱い糖蜜をかけられたザラメは、だんだん大きくなっていきますが、金平糖の完成までには小さなもので約2日、大きなものになると2週間程度、作業を続ける必要があります。
金平糖を作る作業は気温や湿度の影響も受けやすく、熟練した職人による確かな技術と経験だけが頼りの、とても繊細な仕事なのです。
金平糖の名前
「金平糖」という名前は、ポルトガル語の「コンフェイト」がなまった「コンペイトー」に、漢字を当て字して表記したものと言われています。
「コンフェイト」は「砂糖菓子」または「球状のお菓子」という意味の言葉ですが、金平糖のデコボコした丸い形を見れば、なぜそう呼ばれるようになったかが分かります。
「金平糖」の他に、「金餅糖」「糖花」という字が当てられることもあります。「金平」には「強い」という意味があり、このお菓子の「砂糖の甘みの強さ」を表していると言われています。
また、なぜできるか分かっていないという金平糖の周りのデコボコした角は、花のようにも見えますね。「糖花」という呼び名は、ここからきたのでしょう。
画像出典:写真素材足成