悪名高い「不平等条約」はまだマシな方だった?実はアメリカも手を焼いた徳川幕府の粘り強い交渉:3ページ目
アジアの国際政治を席巻した「不平等」
列強が派遣を争う当時の世界情勢で、他のアジア諸国が欧米に結ばされた条約と比べてみると、日本の和親条約・修好通商条約ははるかにマシな内容だったと言えるでしょう。
例えば清国はアヘン戦争に敗れ、イギリスと「南京条約」を結んでいますが、この条約によって中国商人の利権が失われ、香港の99年間の譲渡が決定しています。さらに翌年の追加条約では、清国側は領事裁判権を承認させられた上に関税自主権をも放棄させられました。
また当時のシャム国(タイ)は、関税が日本よりも低い一律3%。のちにフランスと武力衝突したことで領土の一部を喪失しています。ビルマ(ミャンマー)などはイギリスとの度重なる戦争で植民地にまでなりました。
さらに、こうしたアジア諸国が欧米列強と結ばされた条約では、条約改正に関する条文がないことがほとんどでしたが、日米修好通商条約では13条で「1872年には条約の改正交渉ができる」とされています。
日本は確かに不平等条約によって苦しめられました。また、日本がアメリカとの戦争に至らずに済んだのは、幕府が交渉をしている間にアメリカの政治事情が変化したからという理由もありました。
しかしそれでも、以上の理由により戦争に至ることもなく、粘り強い交渉によってアメリカから大きな譲歩を引き出した形で条約を締結できたわけで、他のアジア諸国と比べればずっと良い方だったと言えるでしょう。
参考資料
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年