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「どうする家康」浪速のことは夢のまた夢…第39回放送「太閤、くたばる」振り返り:2ページ目
小西行長の偽書とは
劇中、明国からの使者が訪れ、最初は「余は満足である」と言っていた秀吉。
しかし明国は秀吉の条件など受け入れておらず、小西行長と先方に謀(たばか)られたと知って、秀吉は大激怒していました。
劇中では偽書を作成したという演出でしたが、実際のところはどうだったのでしょうか。
明国の使者は秀吉を順化王(明国に順化=従い、明の属国として日本を治める王)に封じ、他の者たち(※)を大都督(地方の司令官)に任じました。
(※)石田三成・宇喜多秀家・大谷吉継・小西行長・増田長盛ら和平派の武将。
明の皇帝にしてみれば「ホラ。大明帝国の権威で日本を治める国王にしてやるから、これで大人しくしろよ」とでも言った所でしょうか。
王は皇帝よりも格下(※この皇帝と王の関係を冊封体制と言います)なので、明国に和睦の意思などないのは明らかです。
が、これをそのまま伝えたら和平交渉が決裂してしまいます。
なので行長は西笑承兌(でんでん)に秀吉が納得できる内容に通訳(改竄)するよう依頼しました。
しかし西笑承兌は正直に翻訳したため、行長の小細工を知った秀吉は激怒。行長の処刑を命じます。
前田利家や茶々らのとりなしによって事なきを得ますが、行長は朝鮮出兵において更なる奮戦を余儀なくされたのでした。
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