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家康の孫・千姫について
さて、秀吉のセリフに出てきた家康の孫娘・千姫。嫡男の徳川秀忠と江姫(茶々の妹)の間に生まれた娘です。
秀頼と結婚させることで、徳川家との関係を強化させようとしていました。
千姫が生まれたのは慶長2年(1597年)4月11日。秀吉が亡くなる前年ですから、この時点ではまだ2歳です。
家康は千姫の誕生を祝い、京都の御香宮神社に神輿を寄進しました。よほど嬉しかったのでしょう。これは千姫神輿と呼ばれ、改修を経て現代まで受け継がれています。
後の話になりますが、千姫が7歳となった慶長8年(1603年)に約束どおり秀頼と結婚。大坂城へ嫁いで行きました。
更に慶長20年(1615年)、豊臣家の滅亡に際しては祖父の家康に秀頼や茶々の助命を嘆願します。
しかし家康はこれを聞き入れず、秀頼の娘(側室の子。天秀尼)のみ千姫の養子として保護できました。
そして寛文6年(1666年)2月6日に67歳で世を去るのですが、それはまた別の話。
母親の江姫ともども、本作ではどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。楽しみですね!
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