昭和天皇が満州事変を止められなかったのは何故?天皇と軍の微妙な関係【後編】:2ページ目
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戦前日本人のメンタリティ
私たちは長い間、戦後の教育によって、戦前の日本は天皇を中心とした軍国主義国家だった……と単純に教え込まれてきました。しかし満州事変における各方面の動向を見ただけでも、話はそう単純ではないことが分かります。
昭和天皇も政府も、なんであれむやみに侵略行為を行うことはよろしくないと考えていました。
一方で、関東軍も体制的には天皇に従わなければならない立場でありながら、その天皇の命令には実際的な効果がない、という関係でした。「天皇が中心」と言うには中心の権力が弱く、「軍国主義国家」と呼ぶほど軍国主義一辺倒でもなかったのです。
むしろ、天皇制システムや軍の存在などの体制的な事柄はさておき、関わった人たちのメンタリティだけを見れば現代の私たちとそう変わらないといえるでしょう。
満州事変は、形骸化した命令系統、なし崩しの事後承諾を容認するお役所仕事、党利党略を優先する政府によって、はっきりした責任者がよく分からないまま進められていったのです。
最近はあまり言われませんが、天皇の戦争責任問題の議論が難しくなりがちなのも、裏を返せば当時の昭和天皇には戦争責任を問えるほどの権力がなかったからだとも言えるでしょう。
参考資料
井上寿一『教養としての昭和史集中講義』 倉山満『 』KKベストセラーズ・2018
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