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織田信長の覇業を支え、死出の旅に従った森乱(演:大西利空)こと森成利とは【どうする家康】:2ページ目
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信長の小姓として活躍
『兼山記』によると、乱法師こと森成利が信長に仕えたのは13歳となった天正5年(1577年)5月。弟の森坊丸(ぼうまる。長隆)や森力丸(りきまる。長氏)と共に信長のそば近く奉公します。
利発であったことから、石山本願寺との和睦交渉に立つなど外交でも活躍。天正9年(1581年)には近江国に知行500石を与えられました。
『信長公記』によれば天正10年(1582年)3月に武田勝頼(演:眞栄田郷敦)が滅亡した後、兄の森長可が信州川中島へ領地替えとなった後を継いで美濃岩村城主に。
『寛永伝』の記述だとその所領は5万石、信長による寵愛と厚遇が判ります(なお、成利自身は現地に行かず、長可の家老であった各務元正が城代を務めました)。
本能寺の変
しかし天正10年(1582年)6月2日。信長が京都・本能寺に滞在中、明智光秀(演:酒向芳)の襲撃を受けて横死を遂げてしまいました(いわゆる本能寺の変)。
森成利は弟の長隆・長氏と共に力戦、信長を守って壮絶な最期を遂げたのです。時に成利18歳、長隆17歳、長氏16歳という若さでした。
終わりに
兄弟三人は兄・長可が建立した可成寺(かじょうじ。岐阜県可児市)に葬られ、今なお人々に慕われています。
果たして大河ドラマの「森乱」はどんな活躍を魅せてくれるのか、そして弟たちも登場してくれるのか、期待したいですね!
※参考文献:
- 谷口克広『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館、2010年11月
- 谷口克広『信長の親衛隊 戦国覇者の多彩な人材』中公新書、1998年12月
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