- No.145【賛否両論】大河ドラマ『どうする家康』を振り返り見えてきた3つの「どうする」まとめ
- No.144「どうする家康」最後はみんなで海老すくい…最終回放送「神の君へ」振り返り
- No.143【最終回予習】本当に色々(1616年)あったね…徳川家康の死から「神の君」となるまで【どうする家康】
織田信長の覇業を支え、死出の旅に従った森乱(演:大西利空)こと森成利とは【どうする家康】
死出の旅まで付き従った信長の小姓
森乱 もり・らん
[大西利空 おおにしりく]織田家重臣・森可成の息子で、長可の弟。その聡明さと美貌を認められ、若くして織田信長の近習となる。本能寺の変の際、あるじと共に炎に包まれ、非業の最後を遂げることに。
※これまでは、森蘭丸と呼称されることが多かった。※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト(登場人物)より
織田信長(演:岡田准一)の小姓として、その覇業を支える森乱こと森成利(もり なりとし、いわゆる森蘭丸)。
果たして彼がどんな生涯をたどるのか、まとめてみました。大河ドラマの予習や復習にいかがでしょうか。
森成利の生涯を駆け足でたどる
森成利は永禄8年(1565年)、信長の家臣・森可成(もり よしなり)と営(えい。林通安の娘)の三男として誕生しました。
【森蘭丸じゃないの?】
幼名は乱法師(らんほうし)、親しい人たちが略して森乱と呼んでいたのでしょう。松本潤が松潤と呼ばれるような感覚と思われます。
なお有名な森「蘭丸」について、当人や周囲の人々が呼称した(名乗ったり書いたりした)記録はなく、『石山本願寺日記』の「森お蘭」という記述に幼名に多い「~丸」を加えた呼び名が広まったようです。
「乱」よりも「蘭」の方が優雅で美しいから、信長の小姓にふさわしかろうと後世の軍記物語などに受け容れられたものと考えられます。一方、当人たちは名前を書く時に簡単な「乱」を好んだのでしょうか。
例外として大久保彦左衛門『三河物語』では、森成利を「森之お覧」と書いていました。これはただ漢字をど忘れしたのかもしれません。
ひとまずここでは「乱法師」が一応の正式名称で、周囲からは略して「森乱」と呼ばれていたものと考えます。
兄弟について
森成利の兄弟姉妹は以下の通りです。
- 長男:森可隆(よしたか)……元亀元年(1570年)朝倉攻めで討死。
- 次男:森長可(ながよし)……天正12年(1584年)小牧・長久手合戦で討死。
- 三男:森成利(なりとし)
- 四男:森長隆(ながたか)……天正10年(1582年)本能寺の変で討死。
- 五男:森長氏(ながうじ)……天正10年(1582年)本能寺の変で討死。
- 六男:森忠政(ただまさ)……寛永11年(1634年)初代美作津山藩主として死去。
- 長女:関成政(せき なりまさ)室
- 次女:青木秀重(あおき ひでしげ)室
- 三女:木下勝俊(きのしだ かつとし)室
ページ: 1 2
バックナンバー
- No.145【賛否両論】大河ドラマ『どうする家康』を振り返り見えてきた3つの「どうする」まとめ
- No.144「どうする家康」最後はみんなで海老すくい…最終回放送「神の君へ」振り返り
- No.143【最終回予習】本当に色々(1616年)あったね…徳川家康の死から「神の君」となるまで【どうする家康】
- No.142「どうする家康」共に乱世の夢を見ようぞ!第47回放送「乱世の亡霊」振り返り
- No.141二代将軍・徳川秀忠には息子が二人、どちらが将軍に相応しいか家康が課した試験とは?