
大河『べらぼう』身請け後にいったい何が!?四代目瀬川が自害した真相と彼女の人物像に迫る【後編】
前編のあらすじ
縁起の悪い名跡として、永らく空位となっていた瀬川(せがわ)の名跡。その原因を作ってしまった四代目瀬川(江市屋瀬川)とはどんな女性で、どのような最期を遂げたのでしょうか。
【前編】の記事↓
大河『べらぼう』身請け後にいったい何が!?四代目瀬川が自害した真相と彼女の人物像に迫る【前編】
花の井(小芝風花)が五代目を襲名するまで、永らく空位であった瀬川の名跡。先代の四代目瀬川が自害してしまったため、縁起の悪い名跡として敬遠されてきたのでした。[caption id="a…
今回は吉原遊廓で活躍した四代目瀬川が身請けされた以降について、紹介したいと思います。
身請けは偽装?果たして真相は?
かくして松葉屋の人気遊女となっていた四代目瀬川は、宝暦5年(1755年)の末に身請けされました。
身請けしたのは先ほど紹介した商人の江市屋宗助(えのいちや そうすけ)。しかし江市屋宗助が四代目瀬川を身請けしたというのは表向きの話で、実はとある大名の家老が身請けしたという噂もあったそうです。
四代目瀬川は薬研堀村松町に囲われたそうですが、その後の暮らしぶりなどについて、詳しいことはよく分かっていません。
自〇したのは四代目瀬川?
『続談海』によると、宝暦8年(1758年)3月、瀬川が自害したことが記録されています。
記事によればこの瀬川は当年19歳とのことで、遡ると元文5年(1740年)生まれ。
瀬川の名前が宝暦7年(1757年)と記された吉原細見に名前が載っているものの、確か四代目瀬川はその2年前に身請けされ、吉原遊廓を去っているはずです。
これは当時の吉原細見が、既にいなくなった遊女の古い情報も、構わず載せ続けていたためでしょうか。
※それまで杜撰であった吉原細見の改に蔦屋重三郎が着手し、一躍名を高めたのは大河ドラマでも知られるとおりです。
もし吉原細見が誤りで、この自害した瀬川が四代目瀬川だとすれば、彼女は身請けされてから3年後に自害したことになります。