
大河『べらぼう』身請け後にいったい何が!?四代目瀬川が自害した真相と彼女の人物像に迫る【後編】:2ページ目
四代目瀬川が自害した真相は?
四代目瀬川の略年表
- 元文5年(1740年) 誕生(1歳)
- 寛延2年ごろ~宝暦4年ごろ(1749~1754年)
吉原遊女として、松葉屋の抱えとなる(10~15歳?) - 時期不詳 四代目瀬川を襲名する(~16歳?)
- 宝暦5年(1755年) 江市屋宗助に身請けされる(16歳)
- 宝暦7年(1757年) なぜか『吉原細見』に名前が残る(18歳)
- 宝暦8年(1758年) 自害(19歳)
四代目瀬川の生涯を、推測も交えながらまとめました。
果たして四代目瀬川が自害した動機は未確定ですが、あくまで仮説ながら、この『吉原細見』に名前が残っていたことが引き金になったのかも知れません。
身請けされて、江市屋宗助の妻もしくは妾として暮らしていた四代目瀬川。
しかし吉原遊女であった過去が消える訳ではなく、誰かが何かの拍子に、彼女の名前が残っていた『吉原細見』を見てしまいます。
この事から遊女上がりと辱められた四代目瀬川が、苦渋の末に自害を選んでしまった……そんな可能性が脳裏をよぎりました。
あるいは大河ドラマでも描かれていた通り、身請けした江市屋宗助の他に間夫がおり、彼と冥土で添い遂げるべく自害してしまった可能性も考えられます。
決定的な説こそないものの、いずれにしても四代目瀬川が悲劇的な末路をたどったことは想像に難くないでしょう。