『べらぼう』は終わらない!総集編の放送前に心に残った感動の名場面を振り返る【吉原・遊女編】
先週、最終回が終わった大河『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』。最後の最後まで「そう来たか!」で笑わせられたり泣かされたりで、未だに感動冷めやらず、ロスになっている人も少なくありません。
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実は『べらぼう』はまだ終わっていませんでした!
12月29日(月)は「大河べらぼうデー」として、NHK総合・BSP4Kにて、「総集編 巻之一〜巻乃五」まで、午後0時から一気に配信になります。
その後4時03分からは「ありがたやまスペシャル」も放送するそう。ファンとしては、年末にうれしい限りですね。
そこで、「大河べらぼうデー」のお供として、“心に残る名場面”を振り返ってみました。
個人的に、大ファンだった瀬川(小芝風花)・北尾重政(橋本淳)・松平定信(井上 祐貴)の回顧録は先んじて書きましたので、ぜひ、こちらもご覧ください。
名場面は、主人公の蔦屋重三郎(横浜流星)ほか、たくさんあり過ぎてすべては取り上げきれないのですが、まずは【吉原の遊女編】からご紹介しましょう。
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蔦重の長い人生の支えになった「朝顔」
第一話「ありがた山の寒がらす」。病気で亡くなった女郎たちが、着物を剥ぎ取られ丸裸にされたうえに、“投げ込み寺”の地べたに転がされている場面は衝撃的でした。
その亡骸の中には、蔦重の幼馴染・朝顔(愛希れいか)の姿が。元は花の井(瀬川/小芝風花)と同じ妓楼「松葉屋」の花魁でした。
ところが、今や最下級の女郎屋、浄念河岸の「二文字屋」の女郎に。当時は、女郎が借金を返せないまま27歳になると、下のランクの店に送られてしまったのです。食べるものも満足に与えられない、貧しい女郎屋にいる朝顔。
花の井は、松葉屋で振る舞われる料理をお重に詰め「朝顔ねえさんの元に届けろ」と蔦重に頼むのでした。けれども、せっかくの弁当を他の飢えた女郎たちにあげてしまう優しい朝顔。
結核を患っているのか病の床にふしている朝顔に、貸本屋を営む蔦重は“本の読み聞かせ”をしていました。平賀源内(安田顕)のベストセラーで荒唐無稽な話『根南志具佐(ねなしぐさ)』です。物語に耳を傾けつつ、楽しそうに笑う朝顔。
最下級の女郎生活でも、“本”を読んでいる(聞いている)間は楽しい気持ちになれる……最終回で、てい(橋本愛)が蔦重に言った言葉を思い出します。
「旦那様が築いて分け与えた富(本)は、腹を満たすことはできないけれど、心を満たすことができる。心が満たされれば人は優しくなりましょう。目の前が明るくなりましょう。」
病に侵された朝顔も、蔦重が読む物語を聞いている間は、辛い河岸女郎の日々や空腹を忘れて、いっとき心が満たされたかもしれません。
人が生きていく上で“エンターテイメント”は欠かせないものだと知っていた女性でした。幼い蔦重や花の井に「本を読む楽しさや大切さ」を体験させてくれた人です。
そして、辛いことに直面したときは、
「わからぬのなら、思いっきり楽しい理由を考えてはいかが?そのほうが、楽しぅありんせんか?」
と微笑みながら教えてくれた人でもあります。
この言葉は、蔦重にとっても花の井にとっても、生涯忘れられない“心の糧”となっていましたね。
朝顔の考え方は、現代でいうところの「ポジティブシンキング」という単純なものだけではないでしょう。
“吉原という苦界は辛いことばかり。だから困難にぶちあたったら、その辛さに身も心も殺されてしまわぬよう「楽しいことを考えて」しっかりと希望を持って生きて行きなさい。”
そんな意味があったのではないでしょうか。その教えをしかと受け取った蔦重は、唐丸が行方不明になったとき、敬愛する平賀源内が亡くなったとき……何度も絶望を、乗り越えていました。
花の井も、その言葉を座右の銘としていたからこそ、自分が作りたい理想の本は「めぐる因果は恨みじゃなくて恩がいいよ。恩が恩を生んでゆく、そんなめでたい話がいい」と語っていたのでしょう。
現代に生きる私たちにも、「分からぬのなら楽しい理由を考える」こと、「恩が恩を生んでいくめでたい本の世界に入り、心を満たす」ことは大切だと、教えてくれた朝顔ねえさんでした。




