【べらぼう】最終回ラストの“拍子木オチ”、まさかの史実だった!蔦屋重三郎の実際の最期を伝える墓碑
寛政9年(1797年)5月6日、正午の鐘で息絶えてしまった蔦重(横浜流星)の魂を呼び戻そうと、大田南畝(桐谷健太)の音頭で屁!コールが始まりました。
みんなそろって屁!屁!屁!屁……すると蔦重が目を覚まして一言。
蔦重「拍子木、まだ聞こえねぇんだけど」
一同「「「へ?」」」
ここで(拍子木の音)が鳴り、蔦重は本当に世を去ったという落語みたいなオチでした。実はこの拍子木オチ、創作ではなく史実だったと言います。
果たして蔦屋重三郎はどんな最期を遂げたのか、一緒に見て参りましょう。
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墓碑が伝える蔦重の最期
蔦重が眠っている正法寺には、その最期を伝える墓碑が現存しています。
……丙辰秋得重病弥月危篤寛政丁巳夏五月初六日謂人曰吾亡期在于時因処置家事訣別妻女而至午時笑又曰場上来繋拆何其晩也言畢不再言至夕而死年四十八……
※正法寺の墓碑銘より。
【意訳】蔦重は寛政8年(1796年)の秋に重病を患い、翌年3月には危篤となる。5月6日には家族や使用人たちに死後の処置を指示したり、別れを告げたりした。やがて正午ごろになると、笑いながら「もう(死に支度が)終わったのに、(幕を下ろす)拍子木が鳴らないな。遅いじゃないか」と言う。それが最期の言葉となり、夕方になって世を去った。享年48歳である。
劇中ではおていさん(橋本愛)と二人きりで死後のあれこれについて相談していましたが、実際には使用人たちもいたようです。
拍子木が九郎助稲荷(綾瀬はるか)のお告げによるものだったかはともかく、最後の最後まで全力で戯け切った蔦重らしい最期だったのではないでしょうか。
ちなみに蔦重が亡くなった当時の墓石や過去帳などは、関東大震災(大正12・1923年9月)や東京大空襲(昭和20・1945年3月)などによって失われてしまいました。
現存しているものは原念斎『史氏備考』などの史料に基づき、平成年間(1989~2019年)に復刻したものだそうです。


