15歳ですでに離婚2回!なぜ『豊臣兄弟!』に信長の正室・濃姫(帰蝶)が登場しない?その理由とは
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第4回「桶狭間!」で今川義元(大鶴義丹)を討ち、尾張一統を目指し、覇道を邁進する織田信長(小栗旬)。その傍らには妹のお市(宮崎あおい)が寄り添っていますが、信長の正室である濃姫(のうひめ。帰蝶とも)はなぜ登場していないのでしょうか?
私が父上を殺すかも…ミステリアスで謎に包まれた織田信長の正室「濃姫」の生涯
今回は大河「豊臣兄弟!」に濃姫が登場しない理由について考察したいと思います。
濃姫は既に故人?
問:濃姫はなぜ登場しない?
答:既に亡くなっているから(諸説あり)
当時の史料で濃姫がほとんど言及されていないのは、弘治3年(1557年)以前に病死したからだ、という説があります。
これは歴史学者の桑田忠親が提唱しており、濃姫は14歳となった天文17年(1548年)に信長と結婚したものの、側室である生駒(いこま)氏が信長の嫡男となる奇妙丸(後の織田信忠)を出産する以前に亡くなっていたと言うのです。
第1回放送「二匹の猿」時点で既に永禄2年(1559年)となっているため、信長には正室がいない状態となっていました。
だから妹のお市が、まるで正妻然としてかたわらにいる(いられる)のでしょうね。今後、側室の生駒氏が登場するかはわかりませんが……。
父の野望で三度の政略結婚
ここからは、濃姫について大まかなプロフィールを紹介したいと思います。
濃姫は天文4年(1535年)に美濃の戦国大名・斎藤道三(麿赤兒)と正室・小見(おみ)の方との間に誕生しました。
濃姫とは「美濃の姫」程度の意味で実名ではありません。江戸時代の歴史書『美濃国諸旧記』では帰蝶(きちょう)と紹介されていますが、戦国女性の命名習慣に照らすと違和感が残ります。
また実家の鷺山城(岐阜県岐阜市)から嫁いできたことから、鷺山殿(さぎやまどの)とも呼ばれました。
ほか正室であることから北の方(きたのかた)、信長が安土城(滋賀県近江八幡市)を築き上げるまで存命だった説をとる文献では安土殿(あづちどの)とも呼ばれているそうです。
信長と結婚するまでに二人の夫へ嫁いでいましたが、いずれも父・道三の野心ゆえであり、それぞれ父に暗殺されてしまいました。
“美濃のマムシ”こと斎藤道三の娘・帰蝶(濃姫)が織田信長に嫁ぐまでの結婚歴を紹介
一人目の夫:土岐頼香(とき よりたか)
天文13年(1544年)、合戦のどさくさに紛れて自刃に追い込まれる。濃姫10歳。
二人目の夫:土岐頼純(とき よりずみ)
天文16年(1547年)、結婚から約1年で急死。死因は不明(暗殺?)。濃姫13歳。
わずかな期間で二人も夫を亡くした濃姫は、心の傷が癒える間もなく、信長と三度目の政略結婚。まだ10代の若さでこんな扱いを受ければ、心身を病んでしまっても無理はないでしょう。
濃姫が早逝してしまった説が正しければ、こうした事情が影響しているのかも知れませんね。



