6個大隊を30分で揚陸!世界屈指の上陸能力を持った旧日本軍、なぜ太平洋戦争で戦略崩壊したのか
日本陸軍の上陸作戦能力
日本陸軍は、太平洋戦争が始まる前の段階で、すでに世界でも屈指の上陸作戦能力を持っていたと言われています。その実力は、米軍が「船から陸地への上陸作戦技術を完全に発展させた最初の国」と評価したほどでした。
実際に、マレー半島での上陸は驚くほど速く、歩兵6個大隊を30分で揚陸したという記録も残っています。けれども、これほどの高い技術を持ちながら、日本陸軍は太平洋戦争で補給に失敗し、戦線が崩壊していきました。これは何故でしょうか。
その核心には、揚陸作業という地味で重要な工程と、戦略環境の変化がありました。
当時のアジアや太平洋の島々は、港湾設備がほとんど整っていませんでした。大型の岸壁もクレーンもなく、船を直接つけて荷物を降ろすことができなかったのです。
そのため日本陸軍は、沖合に船を停め、艀に積み替えて運ぶ沖荷役を主力としました。
これは効率が落ちる作業ですが、日本陸軍は専門部隊を整備し、体系的な揚陸能力を築き上げたのです。
揚陸団、停泊場司令部、水上勤務隊などは、名前こそ地味ですが、上陸作戦の成否を左右する重要な部隊となりました。
補給の現実
こうした努力の結果、日本陸軍の揚陸速度は世界的に見てもかなり速いものとなったのです。
とはいえ、戦闘部隊だけを上陸させればよいわけではありません。
1個師団が3〜4か月戦うために必要な物資、いわゆる一会戦分は約1万トン。接岸荷役なら1隻で1日1,000トン、沖荷役なら800トンが限界で、師団規模の揚陸には5日ほどかかりました。
つまり、上陸作戦は「最初の30分の速さ」よりも「その後5日間の補給」が本当の勝負だったのです。
そして、この補給作業には絶対条件がありました。それが航空優勢です。
揚陸作業は海上での荷役が中心で、敵の航空機にとっては格好の標的になります。上空を味方が押さえていなければ、輸送船は次々と沈められてしまいます。
この前提が崩れたのが、1942年のガダルカナル戦でした。日本軍が建設していた飛行場をアメリカ軍に奪われたことで、島周辺の空は完全に敵のものになったのです。
日本軍は敵航空優勢下での強行輸送を余儀なくされ、輸送船を守るために海岸に擱座させるという苦しい手段まで取りました。
しかし、第三十八師団の輸送では11隻中7隻が沈没し、残りも数日で失われています。
ガダルカナル全体では157隻中約半数が沈み、補給はほぼ途絶しました。兵士は飢え、島は餓島と呼ばれるようになります。

