戦国時代、織田信長の「比叡山焼き討ち」本当の理由は宗教弾圧ではなく“脱税の摘発”だった!?
寺社の脱税特権
よく中世日本では、武家が社会の中心にいたと語られがちですね。
しかし、同じ時代にもう一つ、見逃せない巨大勢力が存在していました。それが寺社です。
古代から寺社は税を免除されており、宗教施設というよりもむしろ国家財政を揺るがすほどの脱税集団でした。
農民が税逃れのために土地を寄進するケースも横行しており、平安時代に国家財政を揺るがして貴族を肥え太らせた荘園制度の構造がここでは生き残っていたのです。
また、借金のカタに田を奪われる例も多く、寺社の荘園は急速に拡大していきました。
その代表格が比叡山延暦寺です。
比叡山延暦寺は、現在判明しているだけで二百八十五か所の荘園を持っていたことが分かっており、実際にはさらに多かったと推測されています。
全面積のうち近江の荘園の四割と若狭の三割が比叡山系で、その規模は北陸・山陰・九州にまで広がっていました。
また京都の繁華街にも三ヘクタールの土地を所有しており、地代収入だけでも莫大な額になっていたことは間違いありません。
このように、当時の寺社は宗教勢力であると同時に巨大地主でもあり、国家の税体系を根本から揺るがす存在だったのです。
